心のこと

2008年7月14日 (月)

信じること祈ること

先日田口ランディさんの講演を聞く機会がありました。

今回は信じること、祈ることについてのお話でしたが、田口さんのご家族のことや世界を旅をして祈ることを体で体験したというお話に、信じることや祈ることについてあらためて考えさせられました。

私の話をさせていただきますが、敬虔な仏教徒の祖父母を持つ私にとって「祈る、手を合わせる」というのはごくごく自然な行為でした。手を合わせながら死者に話しかけることは、道端で出会う猫に話しかけることと同じで至極日常の行為だと思っていました。*その段階でかなりおかしいですね 笑

ですから宗教の色濃い国や、信仰を感じるところが大好きで、ミャンマー、イタリア、本当に毎日飽きずにお寺や教会へ遊びにでかけてました。

「え、なんで?!」

あなたは何を信じ、なんのために手を合わせ、誰に祈るのか、、、

それをロジックで語れといわれると非常に困ってしまいます。

誰かを思ったり、自分の将来を思ったりするときに神にでもなく、仏にでもなくなんとなく念ずる自分がいる。それがどこに届くかわからないけれど、至極当たり前のこととして、ハッピーな結果を願い、そうであろうと信じる自分の心があります。

皆さんはいかがですか?

先日、仲の良い友達が蓼科へアイターンしました。「きっと大丈夫。私はあなたの毎日がきっともっとキラキラしたものであるように祈ってる」そういって別れました。

後日彼女から「種はまかないと芽をだしません。育って初めて刈ることができます。サイコさんの言葉を信じて、今は新しい生活を楽しんでます」

信じる力、祈りの力

私はそういうものの力を信じています 笑

それは私になにか特別な力があるとか「念じれば通ず」そんなことではなく、世界のどこかで誰かが誰かを思う気持ちはめぐりめぐって自分へやってくる、その支えによって自分は生かされているということです。

もちろん妄信的に祈りや信仰やなにかの運動につっぱしることに対しては疑問です。またみんなでNO!と言おう、そういうのも苦手です。ただ純粋に誰かを思う心としての祈りや信頼だったらステキだなあと思うのです。

さて田口さん。

お話をうかがって、ものすごいエネルギーをいただきました。なによりピュアな方だというのが印象です。

最後に、癌が再発し闘う我らが忌野清志郎氏のために祈ります。

現在彼のサイト「地味変」はアクセスが殺到して見れない状態が続いているようですが、直筆メッセージの「夢を忘れずに」という言葉に、たくさんの勇気をもらいました。

きっと大丈夫、そう信じちゃダメですか、、、、、

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2008年4月23日 (水)

引き算の暮らし

今日はネット往復書簡の心友「あわぽんさん」の新生活スタートの記事から、私も考えてみたことをお話します。

ずいぶん長いことテレビのない暮らしをしております。

一番きつかったのは1995年
阪神淡路の大地震の日の静止画像。そして某カルト教団最終解体の日。
都心へむかって護送される教祖、それを空から実況するヘリコプター、ずーっと都心におりますが自分の家の真上をヘリコプターがワンワン旋回するのと、ブロードキャストと同時に味わいました。

もともとあまりテレビをみない人間でしたが、そのころは、過労で疲れていたのもあったのでしょう。テレビから発するマイナスのエネルギーと音の洪水に共鳴しさらにクタクタになってしまいました。

さて、テレビをみないから知らないことはたくさんあると思います。

タレントさんとかよく知らないです。ただ情報を遮断しているわけではないので、世の中の事象、経済の動きなどは逆に敏感になっていると思います。
また誰かがそういうからそうだという思考ではなく、自分はそれについてどう思うかを常に考えております。

世界でなにがおきているか知らないより知っているほうがいいでしょう。ただし、それ以前に自分を知ることも大切だと思います。

自分を知ることというのは、自分の中にもさまざまな事件が起きているということに敏感になるということです。喜び、悲しみ、怒り、いろいろな感情がわきあがるとき、それを大切に受けとめてあげてほしいなあと思います。

ところで先日お会いした方は「素食;粗食が大切、素食にすることで、人間の強さがひきだされる、植物も危機感をおぼえると実をつけるというでしょう」と。

「そのために精製されていないもの=玄米だったり、天然塩、良いお醤油に、お味噌をちゃんと選びましょう」っておっしゃっていました。

完璧に料理する暮らしは無理でも主食と調味料ぐらいは良いものとりたいですね。また、天然塩は清める力も持っています。私も毎日トイレの神様にお塩を盛り手を合わせる日々です。

ちょっとスピな話になりましたが、今日はこの辺で。

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2008年4月10日 (木)

マナー?!ネチケット?!

毎日たくさんの方にご覧いただきありがたいかぎりでございます。

ところでこのネット社会。

ブログをやる人も読む人も匿名、だからなんでも書けるって思っている人も中にはいらっしゃるのでは?

炎上という言葉もありますが、匿名だろうとHNを使おうとやはりマナーは守らないと事件にまで発展してしまう可能性があります。

一番恐ろしいのは子供達の学校裏サイトというものの存在でしょうか?

昨日までは仲良しさんだったのに、一夜明けたらイジメの対象。それがしばらく続くとまた次の子なんてすごいスピードでその対象が変わっていくといいます。

ネットがある前からこういうイジメのやり方はあったのでしょうけれど、ネットの怖さは、ただのイジメですむものではありません。画像や個人情報があっと言う間に広がるのです。しかも書いた言葉が残るということに対して、書いた方がどれだけ認識しているのかということに胸が痛みます。

だから親は子のようすに気をつけないと、、、、そんな展開になりそうですが、、、

今日は私達社会人の中での問題です。先日MSNで、とあるアンケートの結果をみました。「たとえ良いできごとだったとしても、すべてをブログに書く10%、ごまかして書く90%」との回答ですが、ごまかして書けばいいともいえませんよね。

意外とあっけないところで足跡はついてしまいます。また第三者にわからないように書けばいいんでしょという問題ではなく、当事者がみて自分のことだと思ったら、それはもっと痛ましいことだと思います。

昨日早退した仲良しの同僚について

「同僚の△、午後に早退した。そのせいで残業させられた、もぉ△のバカぁ!!」と書いたとします。ブログを読んだ△さんは「私のこと?なんで書くのよぉ」とたずねますが「△って書いたって、本名じゃないしどこの誰かわからないからいいじゃん」

私、本人がイヤだといっているのですが、、、

友達同士。

「今日○と喧嘩した、こう言われた、あぁ言われた、、、、」散々書いた上で「でも仲直りした」と書いたとしします。仲直りしたとしても、それを喧嘩相手が読んだらどんな気持ちでしょうか?

またいくらラブラブな二人だったとしても、ふたりのできごとをあれこれ書いていたらどうでしょう?「今日、○と会った、おごってくれた」「今日、○に約束すっぽかされた」

ネチケットってゆうか、オトナじゃないって声も聞こえそうですね。

さて会社に勤めている方は、もっと注意が必要です。職種を一切明かさない、勤務地を明かさない、その上で書くのは当然ですが、人事のこと、研修プログラムのこと、取引先のこと、入札事項やら、その日のトラブルのことなんか逐一書いていては、場合によっては法に抵触する場合もあります。

「これを相手が読んだらどう思うだろう」と、まずは相手の立場になって考えることが大切だと思います。

ネットやブログで広がる輪がハッピーなものでありますように☆

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2008年3月15日 (土)

受け容れるということ 1

クライエントの方ともお話するのですが「ありのままの自分を受け容れる」ってどういうことか、、、、

正直「ありのままの自分を受け容れなさい」「今の境遇に感謝しなさい」という言葉ってすごく上からみた言葉だと思います。

自分は今の境遇に感謝できるし、自分を受け容れることができるから言える言葉であって、それを人に対して「あなたもそうするものでしょ」と言うのは、どうかと思うのです。

以前も書きましたが、私の叔母はパーキンソン病という病気で闘病中です。進行することはあっても快方にむかうことはない病気で日々体の不自由さが増すのを感じながら時をすごすだけです。

寝たきりで、口もきけず、すべて介護が必要です。わずかに動く指で50音を指差して自分の意思を伝えますが体力がないため、ひとことふたことがやっとです。

しかし脳はしっかりしているのです。日に日に自分の思い通りにならなくなっていく体にどんな思いでいるのでしょう、どんなに恐ろしいことでしょう。

しかし彼女は一切の不平、不満を口にしません。

そんな彼女の姿をみたときも、今書きながらも、胸が張り裂けそうで、辛くて悔しくて、納得いかなくって、世の中の不条理をうらみたくなるのです。

率直に申し上げますと「なんで○ちゃんがこんな目にあわなくちゃいけないの?何か悪いことしたっていうの?お願い、誰でもいいから早く治してあげて!!!なに?生きていることに感謝しろって?!その境遇を受け容れろって?!窓から見えるのは空だけ。毎日来るのは彼女の姉だけ。2年間、同じベッドの上にいる人にそれを言えって?!」

そうです。私はごくごくフツウの人間ですから不平、不満大爆発ですよ!!

それでも変わり果てた彼女と、ひとときをすごしたことで、ずいぶんずいぶんいろんなことを学びました。

思えば彼女はもうその境遇を受け容れているのだと思います。感謝の気持ちだとか、言葉だとかそんなつまらないことを口にする以前に、自分の意思で生きようとしているのです。

弱いのは私ですね。

もし自分の境遇を受け容れられない人がいたときに、その人のそばにいてあげよう。そしてこう言ってあげよう。

あなたは、そんな自分の境遇を受け容れられないんだね。それはちっともかまわないよ。だけど生きていよう。生きていていいことあるかどうか、それはわからない。だけど生きていよう。変わりたい変わりたいと思って変わることができなくても、時は静かに流れていくんだから

受け容れるってそういうことかなあと思うのです。続く

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2008年1月26日 (土)

待つことは思いやること 3

さて皆さんは人付き合いは得意ですか?苦手ですか?

正直私は人付き合いが得意ではありません。ただ人付き合いは苦手ではありますが、「難しい」という言葉で誰かとのお付き合いをあきらめたり、「タイヘン」とその限界を決めてしまうのはナンセンスだと思います。

小さい頃の私はキョジャッキーでわがままで問題児でした。それはもう扱いづらい子そのいち!みたいな子でした。しかし、それは枠におさまらない私に対してオトナ達がそう言うのであって、小さい私にしてみたらそれはいささか不本意なことでもありました 笑

オイオイ、そんな決めつけないでくれよぉ。勝手に答えをださないで欲しいなあ、プンプン

はっきり言うと子供はみんな、、、、いいえ人間というのは、みーんなみーんな違っているのです。オトナになると社会的な道徳規範に従って生きることができますが、基本的には皆それぞれのペースがある=すなわち自己中心で自分勝手な生き物です。

ですから定義として「人は皆違う」ということをふまえることかと思います。

私が大切に思うところと相手が大切に思うところは違う。

私にとってそれは傷みで触れて欲しくないことだとしても、誰かにとってはそうでないこともある。

同じように私は何も感じないことでも人によっては、それはそっとしておいて欲しいことかもしれない、、、

そう考えたとき人付き合いは、とても難しいものであるのと同時に、いかに相手を思いやることができるか、、、ただそれだけではないかと思ったりします。

人は自分の経験したことないことや、自分の想像をはるかに越えたことを耳にしたり、目の当たりにすると、やってもみないうちから「難しい」、「タイヘン」そんな言葉を口にします。しまいに「かわいそうに苦労して」とか。

人は皆違います。立つ位置が変わればその受け取り方、感じ方皆違うのです。あなたのモノサシと相手のそれは違うということ。もしそれがわからないのであれば人付き合いは難しいままでしょう。それが大きくなってしまうと戦争、、、アメリカと中東諸国のように永遠にいがみあうのかもしれません。

どうしていいかわからなくなったときは待つこと。それが自分と相手と両方を思いやること、、、かな。

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2008年1月25日 (金)

待つことは思いやること 2

自家製天然酵母のパンも人間も待つことって大切だよ、そんなことを昨日はお話いたしました。

もちろん私のパンだって何度も何度も失敗しました。待てなくて高い温度で発酵してみたり、発酵不足のまま焼いてみたり。しっかり計量しても温度湿度まで管理できないものですから、、、というのはカッコイイ言い訳で、私のうっかりやせっかちでずいぶんずいぶんパン達は翻弄され続けてまいりました。カワイソウ。

たかがパン作り、されどパン作り。

ふと思いました。「パン屋さんじゃないもん。ピカピカパンじゃなくていいもん。人に見せるために焼くんじゃないし誰かに褒めてもらうために焼くんじゃない、上手かどうかじゃなくて、、、ご飯と一緒で日々のこと。ちっとも特別なことじゃないんだから、楽しくやればいい」

そうして大きく深呼吸してつぶやきました。「とにかく待とう。」

今でもフツウに失敗し「アチャー」の連続です。それでもそのブサイク具合が愛しいですし食べるとおいしくて、自分で言うのもなんですがなかなかのものです。

うまくいかないときどうするか?

うまくいくから楽しいのでなく、うまくいかないことも楽しい。なぜならそこから学ぶことがたくさんあるから。恋に疲れたとき、上司に叱られたとき、同期がとっとと出世したとき、友達がまぶしく見えたとき、つい誰かと比べたくなったり、自分を矮小化してみたり、将来を憂えたりするものです、比べることない、結果を求めない、答えを求めない、、、、とにかく待ちます、今は学ぶ最中ですから☆そんな自分に対する思いやり大切にね。

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2008年1月24日 (木)

待つことは思いやること

あわぽんさんのところで、ひょんなことから待つことは思いやることそんなステキな言葉をいただきました。

ところで私は天然酵母のパンを焼くのが趣味です。

そういうと皆さん「パンを焼くなんて難しそう、タイヘンじゃないのぉ?」必ずそうおっしゃいます。それがね、、、自分で酵母を起こしてパンを焼くのは実はとっても簡単なのです。

え??????

待つことさえできればいいのです

空気中の酵母が果実などの糖分をえさにゆっくり培養されます。それを元にパンを焼くのですが、パンって水と粉と酵母と塩だけで焼けること想像できますか?

私がすごしたことのあるトスカーナのパンは日持ちさせるために塩さえ入れないのです。ですから半日もすればカッチカチになりノコギリが必要なぐらい!!でもそのカッチカチのパンをちぎってあっつあつのスープに浸して食べたり、夏は飛び切り上等なオリーブオイルと一緒にサラダにしたりしていただくのがおいしいです。

ところで、笑えるかもしれませんが私、、、パンを焼くときは一切計量しません。もちろん最初は計量してましたが、今は目分量と手触りです。酵母をおこすのに1週間、中種をおこすのに数日、パン自体の発酵時間も12時間、、、なあんてかかりますが、それも膨らむまで待つだけです。とにかく最初の倍まで膨らむで待つ、、、、

皆さん、待つことは難しいことですか?

酵母は生き物です。
人づきあいと一緒で良く話しかけてやったり、ご機嫌をうかがたり 笑
そんなのしているとちゃーんと焼けてくれます。

ただ残念なことに先日も書いたばかりですが待てない人が増えていますね。

待てない=思いやりがない?!

相手の立場にたって考えようよとか、人の機微がわかる人じゃないととか、あの子、空気が読めないとか、アイツうざいとか、ちょっとイタイ人増えてるなあと思う昨今、、せめて待つことできるかどうか、、、それで人間関係かわってくると思います。

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2007年11月20日 (火)

同感と共感

同感と共感の違いについて考えてみましょう。

その前に、まずは日米の思考の違いから。

日本人は誰かをなぐさめようとするときに自分の過去の経験を語って、「自分もそういうことがあったけど大丈夫、だからあなたも大丈夫」と相手を励まして導こうとしますが、多国籍国家移民の国であるアメリカ人はそもそも相手と自分は違う人間、よって同じ経験をしても感じ方受け取り方は人によって違うという考えがあります。

そこでどうするか、、、

あくまで相手の感情にそうという姿勢をとります。

たとえば試験で失敗した人がいるとき日本人は「私も試験に落ちたことがあるけどそれで人生終わりじゃない、次にまたがんばればいいさ」と励まします。

しかしアメリカ人は「すごくがんばったキミを知ってるよ。さぞ、くやしいことだろうね。そりゃあがっかりしたことだろう。」と感情にそってあげます。

さて同感と共感。
同感とは、ある対象に対して、相手と同じ感情を抱くことです。

あ、Aさんだ。

私あの人キライ。
私もキライ。

共感はその対象に対して抱く感情は違えど、相手がなぜそう思うかについては受け入れ認めてあげることです。

あ、Aさんだ!!

私あの人キライ。
うそ、私は好きよ。
だって、、、昔あの人に意地悪されたことがあるんだもの。

まあ、そうだったの。それであの人がニガテだというわけね。そういう理由だったの。知らなかったわ。気づかなくてゴメンナサイね。
*これが共感です。

しかし「えー、あの人いい人だよぉ。意地悪するなんて信じられない。そんな風に見えないけどなあ」と相手の感情を無視して、自分がAさんに抱く感情を精一杯主張したらどうなることでしょう?
相手はまるで自分が嘘をついているかのように言われて、過去の傷とともにますます追い込まれてしまうのではないでしょうか?

まずは相手の意地悪されてイヤだったことを一緒に感じてあげること、、、、できませんか?

さて私達、カウンセラーや医者はすべての病気やすべての苦しみを経験した上でその仕事に従事しているわけではありません。そんなのありえませんよね、、、カウンセリングに関して言えば、ヨーロッパで生まれてアメリカ経由で日本にやってきたとも言えますが、、、私達カウンセラーは「感情を聴く」という作業を続けます。相手の痛みを五感で受けとめようと全神経を集中させ、その痛みを少しでも軽くしようと努める者たちであることは確かでしょう。

どうしてこの人はそう感じているのか。

この苦しみはどこから来たものか。

それをずーーっとずーーーっと探るのです。

長くなってしまいましたが、同感と共感の違い、、、、ご理解いただけましたら幸いです。

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2007年10月 9日 (火)

誠実ってなんだろう

自分は正直だ、嘘をつかない、、、それは素晴らしいことです。

ただいつも言っておりますが、私、性悪説で生きておりますし、ちーっとも正直な人間じゃありません。朝起きたままの格好で皆様にお会いするほど図太くないですし、車の通らない赤信号ささっと渡ってみたりするごくごくフツウの小さな人間でございます。

嘘つきか?ハイ。

正直か?ハイ。

ただそんな私でも人様に愛され必要とされているからここにいる、、、そう感謝して生きるだけです。

さて今日はちょっと寒くて泣ける嘘の話しです。

ある平日の昼下がり、知人が電車に乗って高尾山へ気分転換へ出かける電車の中、アタッシュを持った中年サラリーマンがボーっとしているのが目にとまったそうです。どこで降りるのかと思いながら終点高尾駅。その中年男性、なんと降りたホーム向かい側へ進むと上り電車に乗り込んだというのです。

居眠りしてたわけでないし、なんだろう?客先へ向かう時間にはまだ早いから電車で時間潰ししていたのか?

それとも、、、、、ひとり電車に何往復、ひとり公園でボー、、、

実際私もよく相談を受けるのですが妻や子、および家族に退職したこと、リストラされたことをいえない人多いようですね。ずーっと隠してらっしゃるようです。

どうして?

心配かけるから。

家族なら心配するの当たり前ですよね。ただ、心配してくれる人がいるってことが、どんなに幸せなことかわからないのでしょうね。

お父さんはお仕事がんばってるから、○ちゃんもがんばろうねえ

そんな妻と隠し続ける夫とどっちが誠実だろうか考えてしまいます。

え、妻が怖くて言えない?え、家族が怖い?

はあ。そんな風に思われる家族も気の毒ですねえ。妻や家族が怖いのか、はたまた良き夫、良き父でいたいそんな見栄なのか。妻はいずれ年金や社会保険の通知などで夫の無職を知ることになります。どんな気持ちでしょう。

情けない、寂しい、どうして?信じてもらってない、信じられない!

そこで大喧嘩。

なんで言わないのよ。

隠してたつもりないけど、心配させたくなかったから、、、。

あのぉ、、、、そういう感情的な話しではなく現実問題として考えられませんか?

いつ再就職先が見つかるかわからないわけですし、メンタルな面でも弱っていることは事実です。そこで「誰かに心配をかける」などという極めて感情的な言葉を用いて問題をすりかえることなく、一刻も早く妻に相談することで妻も対策を立てやすいと思いますし、ご本人も休むなり頭を切り替えるなり、なんらかの方法をとれると思うのです。

そうだったの、大変だったわね。どうする?しばらく休んだ方がいいかな?私もがんばるからあせらないことよね。えーとさしあたって預金がこのぐらいあるでしょ、、、

本当はこんな感じで妻だって言ってあげたかったりするのですよね、、、それが隠していて後からわかったときの皆さん、女性の怒り悲しみといったら 涙 涙 涙

日本人の口癖

迷惑をかけたくない、心配かけたくない。

世の中ひとりで生きてるわけじゃないんですよぉ。

迷惑かけたらゴメンナサイ。心配してくれたらアリガトウ。

そんな言葉が口からでてくるほうがよほど誠実だと思います。

妻の涙、夫のぼやき。

ご夫婦にまたハートとハートが触れ合う日が来ますように。

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2007年9月30日 (日)

汝良き隣人たれ;そばにいるということ

急に寒くなりましたが皆様いかがおすごしですか?

あいかわらずあわただしく連休とは無縁の9月でした。

忙しいということを嫌う人もいますが、私はそれだけ求められているということをありがたく思います。

さて、、、羽根もない、光輪もない、、、決して天使でもなく神でもない。あくまでひとりの人間、あくまでひとりの女性であったマザーテレサ。彼女が亡くなって今年で10年です。そのメモリアルドキュメンタリーを観て参りました。

私がこの仕事を志し、何度も何度も徒労感と無力感を味わいながらも、思い出す言葉があります。

生きているのでなく、生かされている。私がここにいることには意味がある。私自身が孤独であるならばそのカルマがつきることだろう。

生かされている意味?それが何かはわからないけれど、今ここで孤独を訴える人がいたら「大丈夫、一人じゃない。私がいるから」そう言い続けよう。

あなたは自分の足で歩いてきた、そしてまた自分の足で歩いて行く、今あなたのおかれる境遇はあまりに辛くて、世の中という荒波に放り出された小船のような気分かもしれない。でも大丈夫、私はそんなあなたを応援し続けるから。あなたのかわりにその船を漕ぐことはできない。ただその海が凪ぐようになるまで祈る、あなたの明日が今日よりちょっとずつ良いものであるよう祈る。

祈る。

東京ドームクラスの公演を行うミュージシャンの方のお話をうかがった時、夢を叶えるには祈るんですよ、、さらっとおっしゃるのです。え、、、、、、

祈りますか?!

けっこう衝撃だったのですが、今、私も祈っております。今日出会った方の幸せ、メールを頂いた方の明日、そして私の愛する人たちのことを、感謝の言葉とともに。

私がここにいるのは求められているから。愛を与えられているから。ではそれを同じように誰かに与えよう。

 ☆-○-☆!☆-○-☆ ☆-○-☆!☆-○-☆ ☆-○-☆!

             マザーテレサの言葉

食べ物に飢えた人ならば 食べ物を与えればその飢えは満たせます
けれど孤独な人の心の貧困は、もっと深刻なのです
よく見れば 世界中に“コルカタ”があります

愛への激しい飢え
誰もがその苦痛や孤独を 人生で経験します
家族の中にもいるかもしれない“貧しい”人々を見出し、愛し、 愛を実践に移すのです。

東京都写真美術館においてマザーテレサのメモリアルフィルムを上映中です。

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2007年2月24日 (土)

メメントモリ自殺大国日本を想う

メメントモリ

死を想え、、、そんなタイトルの本を思い出しました。

自殺大国日本、、、、年間自殺者3万人!

どうか死を語るのを恐れないで欲しい。
なぜなら人は生まれた瞬間,死に向かって生きているのだから。

死を語るのは決して暗いことじゃないと思います。
アメリカでは小学校から性教育を受け、死について学ぶと言います。賛否両論あるかと思いますが、ことさらタブー視するのもなんだと思う昨今です。

「ねえ、暗いよ、、、やめようよ」
そう口にする人が明るいわけじゃなくて、、、弱いから語りたくないのではないでしょうか。
そして、そういう人に限ってポジティヴシンキングを語り、意味もなく「がんばろうね」と口にするのだと思います。

私はダウナーでヒッキーです。
あまりたくさんの人といると疲れますし、わいわいするのは苦手です。せっかくいただいたすてきなエネルギーは感謝の心とともに大切な方にあげたいと思いますし、本当に癒しが必要な方のためにとっておこうと思います。

さて私が三つの病院に通い、日々薬を飲みながら暮らすと話しますと、皆さん心配なさって薬を飲まないですむ生き方を考えてくださいます。

ヨーガ、マクロビオテック、自然食、半身浴、えーとえーとウォーキングになんだかんだ、いろいろ、、、ってそうとう勉強しておりますが、、、

小さい頃からずーっと病気でひとりぼっち。「苦しいよ、死ぬのかな。」何度も、そう思いながら生きてきましたが、どんなに苦しくてもきっと助かると信じておりましたし、この苦しみは永遠に続かないと、どこかで自分に言い聞かせてきた私がおります。

そうやって、すでに自分を受け容れることができているものですから、いまさら陽気で健康な人間に憧れもしませんし、なんだか違う自分になってしまう気さえいたします。

先日、某所にてひとりのスタッフが具合が悪いのに強い責任感でやってまいりました。

「ねえ。あなたの顔をみるとうれしいし、とても頼もしく思うわ。でもね、あなたがムリをして倒れるようなことがあったら、それは残念なこと。だから具合悪いときは調整するから、どんなに遅くても朝はやくても連絡くださいね」

かけがえのない仲間ですもの。心からそう思いました。

具合悪いということを口にするのはタブーじゃないと思います。口にしないでひとりで歯をくいしばることがタブーであって、苦しさやツラサを口にすることで、いくらでも助けられるのです。ただ、そういうことを口にできる環境をつくることも大切で、誰かが誰かを思いやる経験を重ねていくうちに、互いを信頼し、いたわることができていくのだと思います。

今日はお天気もよく、日本橋界隈を散策いたしました。赤いイタリアンバールespressamente illyがとってもおしゃれでした☆丸の内のVIRONもフレンチな赤これまたステキなお店ですがレトロドールバケットを買って帰りました。

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2007年1月23日 (火)

愛されたかったお姫さまたち

渋谷区幡ヶ谷の短大生妹殺害事件の最新記事を読みました。

交際中の男性が「嫌いなんだから(家族のことなんて)どうでもいいだろう」と話すと、「大好きだからつらいんじゃん」と泣きながら答えたという、、この一文がとっても重かったです。

私はこの事件を分析したり、その因果を述べるつもりはありませんが、心のことについてお話したいと思います。

私、ずいぶん昔、お付き合いしていた男性に同じようなことを言われたことがあります。

「家族にとらわれすぎだよ。」

家族に愛されたくて認められたくて、かかわればかかわるほど傷つくのにまたむかっていく。

彼は、そんな私をみていられなかったのでしょう。

「独立心旺盛で溌剌とした自分である」

そんな自分の思い描くイメージとは裏腹に必死で愛情を求めるような生き方をしていたようです。

「愛に満たされることなく育つと、いつも枯渇しており人を愛することなどできない」

「愛に満たされて育つと自然と他に愛を捧ぐよう成長する」

さて記事の中に「子供たち、皆平等に愛したつもりだ」というようなご両親の言葉がありました。

では受ける側の受け取り方の問題だというのでしょうか?

傷つく私がいけないんですか?

私が勝手に傷ついたって言うんですか?

たくさんの女性の涙。

愛されたくて、受け容れてもらいたくて、認められたくて、、、、

そうして本当の自分がなにかわからなくなってしまったお姫さまたち。

大丈夫、そんなあなたの痛さ、とーっても伝わるから。

ひとりじゃないってことだけわかって欲しい。

こころのことはハーティ新宿

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2007年1月22日 (月)

病理とは

精神疾患に対しての偏見や、なにか恐ろしい病気という思いがおありの方ってたくさんいらっしゃいます。しかし、恐ろしいってどういうことでしょう?このところ新聞をにぎわす殺人事件の容疑者の顔ぶれはごく普通の人たちで、精神疾患だったということはあまり聞きませんね。

皆さんは精神疾患の方が何かするような気がしますか?

私のところにいらっしゃる皆さんの中にも「私、おかしくなっちゃった気がするんですぅ」と言う方はけっこういらっしゃいますが、それは疲れやストレスなどで一時的に脳のセレトニンの働きがうまくいかなくなっているのではないかと思われます。

もちろん医療機関の診察を受ければ「鬱病」と診断されるかもしれませんし、心療内科の先生に「心身症」なんて名づけられるかもしれませんが、あくまで一時的な状態、症状であって、投薬治療と十分な休養で治るものと見立てをうけられることと思います。

さて先日皮膚科の診察をうけるため総合病院の待合室におりましたところ、とっても上品な雰囲気の中年の娘さんと母親らしき二人連れがいらっしゃいました。

ともに毛皮の襟巻き、ウールのコート。母親らしき女性はシャネル。娘らしき女性はプラダのショルダーバックをお持ちです。

はあ。

この娘さん青がお好きのようです。青いコートに青いプラダに青いカサ=高級ブランド!に青いパンプス、、、、、

しかし

このパンプスのヒールの皮が左右ともめくれ上がっているのです。

私の隣に座りました。

パンプスの甲の部分がさけていらっしゃいます。つま先は左右ともにやぶけてらっしゃいます。

そこまでひどい靴をはいてる女性をみたのは初めてです。

宝石のついたイヤリングに濃い化粧。

まもなくすると精神科からの呼び声でその母子は去っていきました。

*こころのことはハーティ新宿

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2006年12月31日 (日)

さびしさ調査 連載3 最終回

さびしさや不安を感じるときがありますか、、、、、

女性は、ごく自然にそう感じる生き物のようです。

さて、私がこのことを皆さんに聞いてみようと思ったのは、風邪で寝込んでいたときのことでした。医者に行っても副作用の恐れがあるということで薬が出せないと言われ、、、三歳以下の子が飲んでも大丈夫という、、、、効いているかどうかさえわからない薬を処方され、、、、ひたすら横になる毎日をすごしました。

そんな日が数日続くと、私がいなくても世の中まわるものだし、、、、そもそも家にいても誰からも連絡なんてない、、、、そういえば彼はどこに行ったのか、、、家族なんてもうしばらく会ってない、、、私が死んでも誰も気づいてくれない?!、、、まさか、さすがに職場から連絡がある?

もともと神経症がありますしパニック発作をおこしやすい人間です、風邪で気が弱くなったところにマイナスのエネルギーが追い討ちをかけます、どんどん闇に引っ張られていくのを感じます。

そこで思ったのです。

先日の「私なんて生きていてもしょうがない、死んだほうがいいんです。」という女性ほど思いつめていなくても、こうやって人は「さびしさや不安」を感じるときはないのだろうか?

そうしてベッドの上からメールを送りはじめました。

ほぼ即答でかえってきた返信メール。

私は弱い人間です。このままでいいのかなあと思うときありますし、こんな自分必要とされていないのかなあと思うとき不安で悲しくなります。

どんどん鳴り続ける着信音、、、皆さんに返信メールをさしあげるうちに私の具合はよくなっていきました。

ところで、、、さびしさや不安を感じる人が弱い人間であるかというと、はたしていかがなものでしょうか?

「さびしい?そんなの当たり前。不安を感じるか?そんなのしょっちゅう」そうやって即答なさる彼女たちからはある種の強さを感じます。

より良い明日。今より幸せな未来。今のままでいいのだろうか、こんな自分で大丈夫なのだろうか?

自分が生きているということをしっかりと証明したい、自分のやったことに対しての反応を感じたい、なにより認められたい。

もっともっと楽しみたい。もっともっと愛されたい。もっともっとできるはず。

そういった向上心の強さ、バイタリティの強さの反動で、ふとした拍子にさびしさや不安を感じるのではないでしょうか?

私は弱い人間です。そしてまったく不完全な人間です。

しょっちゅう泣きますし、朝から一日イライラすることもあります。

そしてよく落ち込みます。

また、手に入れたものが大きくて幸せであればあるほど失う怖さを感じます。

永遠など存在しないとわかっていてもさびしさを感じます。

そんな先のこと考えないで、、、人はそう言います。

しかしそれができない小さな人間です。

そして正直にそれを認めております。

ですから、せめて「今ここで」の感謝を忘れないで生きていきたいと思います。

今年も一年、出会った皆様ありがとうございます。またこんな質問におつきあいしてくださった皆様、本当にどうもありがとうございます。皆様の毎日が健やかであること心よりお祈り申し上げます。どうか良い年末年始をおすごしください。with love hearty

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2006年12月27日 (水)

さびしさ調査 連載2 

今日は「さびしさや不安を感じるときがありますか」との問いに、女性のみなさんがどう答えてくださったかご紹介いたします。

女性の場合「さびしい」「不安を感じる」と答えたのが23名中18名でした。また、この方々のレスのスピードはとても早くほぼ即答で正直驚きました。

「さびしくなるときあります。」

「このままでいいのかなあって時あります」

「仕事に追われる日々に自分を見失いそう」

「将来のことを考えると不安です」

「愛する人の気持ちがわからないと不安ですよね」

「自分の存在がうすく感じるときがあります」

「子育てに終われ、ふと気づいたら自分の人生は何かと思ったとき」

「夫に先立たれたらどうやって子供たちと生きていこうかと考えた」

「誰にも必要とされていないのかなあと思うときあります」

「支えがないと感じると無性にさびしいです」

「なにも予定のない休みの日、仕事しているほうがいいなあと思う」

「自信がなくなったとき」

「小さいことにとらわれやすいから、、、けっこう不安になりやすい」

など本文を変えて掲載しておりますがだいたいこういった内容です。

またこの18名のうち2名は「人間ですから、さびしさや不安を感じることはあるでしょう、しかし現在さびしいかと問われればそんなことはない。」

「そもそも人間は弱く、孤独な生き物だから、そんなの当然じゃないですか?誰といたって満たされないときはある。何をしたって虚しいときがある、だから生きようとするんじゃないのですか」そんな答えを寄せてくださいました。

ようは18名の女性は、男性が至極あたりまえに「さびしくない」と即答するのと同じ感覚で、さびしさや不安を感じることがあるようです。

残りの5名はさびしさや不安を感じることはないと答えられましたが、返答にすごく時間がかかった方がほとんどで、実際に返信の文面に「考えてみましたが、、」「遅くなってすみません」と全員前置きがあったのが印象的でした。また「理由はない」とお答えになった方は一名だけで、あとの方は「なぜさびしさを感じないか」その理由をたくさん書いてくださったのも印象的でした。

それはすごくさびしさを感じる女性とはすごく対照的なことでした。

では少しだけご紹介しますね。

「かつてさびしかったことはある。しかし今はパートナーに支えられているからさびしさを感じることはない」

「自分は恵まれた環境で育ったからさびしさを感じたことがない。」

「物理的に離れていることと孤独は違う。」

「自分はひとりでいることが好き」

そんな感じでした。実際はすごくすごく長い方もいらっしゃいましたがひとことずつにしました。

さびしさを感じる女性は「そんなの理由なんかないわ」と言い切るのに対して、さびしさを感じることがないという女性は「なぜかというと、、、、たぶん、、、、」とほぼ全員がエクスキューズなさったのはなぜでしょう。

そこも大いに考えさせられたところですが、皆さんはどう思われましたか?

次回はまとめです。

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2006年12月26日 (火)

さびしさ調査 連載1

皆様どんな年末をおすごしでしょうか?

この年の瀬にこっそり「さびしさ」調査というものをしておりました。どうやらこれも連載になりそうですが第一回の今日はどうして調査を行おうと思ったかについてお話いたします。

長年「こころの声」を聴いておりますが、この仕事を志した当初は

死にたい、もう生きていてもしょうがない。

そんな言葉にふりまわされ動揺する自分がおりました。

しかし経験を重ねるうちに、この人は、本当は死にたいのじゃなくて、生きていたいのじゃないだろうか、だからこうやって私に訴えているのではないだろうかと思うようになりました。

そこである日「あなたは、死にたい、死にたいっておっしゃるけれど、本当は違うんじゃないかしら?私には寂しいの、ひとりでつらいのって聴こえてくるの。」そうたずねてみました。

すると「そうなんです。どう自分を表現していいかわからないし、こんな私をみんな嫌っていると思うし、かまってなんかくれないし、、、、もういてもいなくてもかまわないんだって思うんです」と泣き出しました。

「死にたいぐらい孤独ってことでしょうか。その気持ちはとても伝わります。でもね、よく聞いてください。今、私はそんなあなたを受けとめようと必死なんです。このあとあなたが死を選ぶのをとめることはできないし、あなたの人生ですからあなたがどうするか決めますよね。でも、私はあなたと別れたあと、あなたが死なないようにって祈るわ。たぶん明日もあさっても祈るわ。ねえ、、、、そうやって祈る人の存在がいるってこと、、、、思い出して欲しいの、、、、それって勝手ですか?」

死にたい、死にたいは生きたいって心の裏返し。

泣きじゃくる彼女。

「どうせ私なんかいてもいなくてもかまわないのよ。本当は必要とされてないのよ」

「あなたがそう思うのなら否定しないわ。でも、もうこうやって関わった以上、私はあなたを思うわ」

仕事もできて、恋人もいる、、、、、でも私なんか生きていてもしょうがない、、、、、

どうしてどうしてそんなに悲しい思考回路に生きるのだろう。

そんなどうしてから、さびしさ調査を始めました。

***************************************

調査に協力していただいたのは私の近しい友人ですので、ある意味「構成的である」ことはご了承ください。また質問回答ともメールで行いました。

質問の内容は「さびしさや不安を感じるときはありますか?それはどういう状況で、どのように感じますか」という短いものです。

男性8名 回答者 7名

女性23名 回答者 全員

年齢は24歳から57歳まで、平均年齢は34,5才。日本在住者だけでなく海外在住者もいらっしゃいます。既婚者は7名。子供がいる人は3名。また、いわゆる専業主婦という方はいらっしゃいません。

今日は男性の回答をご紹介しますね。

男性は全員さびしさを感じないという答えでした。また、回答の早さもほぼ即答で「さびしさを感じることはない」と答えられました。

そしてなぜさびしくないかという理由が「忙しい、やるべきことがある、充実している、目標がある」と答えた方が4名。

あとの2名は返答に時間がかかりましたが「よく考えてみましたが、さびしいというときもありましたが今は大丈夫。」「さびしいを感じるより楽しいを感じる人間だから」

あとの1名は「理由はない、家族がいなくなったらさびしいという物理的なことは感じるだろうけれど、わけもなくさびしくなったり不安にはならない。理由もない」

はあ、、、、あのぉ、、、、私もとっても忙しいし、目標もあるし、日々充実しているのですが、さびしかったり不安になったりする時があるのですよ、、、、まったくオトコってヤツは!!!

*たまに家で不安に襲われて精神安定剤をのむこともある私です。

はてさて、、、、次回をお楽しみに。

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2006年10月11日 (水)

歩いて行こう

他人と過去は変わらない。

自分がどう生きるか、、、

人生って常に選択の連続なのですが、選択するのは自分、行動するのも自分。

さて人に期待してしまう人っていらっしゃいますね。
そういう方って、実はすごく小さいころから人のいいなりになっていたり,物分りの良い子だったりした方が多いように思われます。

自分はいつも親のいう事を聞いて、、、、、
だってお母さんがそういうから、、、、
私は自分の思うようになんてできなかった、、、

ふぅーん。今はオトナなのにね。

と、ここで問題が生じるのです。

せっかくオトナになって自分のやりたいこと、行きたい所へ行けばいいものを、なぜか夫や子供など周囲に期待するのです。
しかし相手も人間です。そう期待通りにうまくいくわけがありません。

するとイライラして、
「どうしてわかってくれないの。こんなに私はがんばっているのに!!なによ、もぉ!!」

ですとか、、、、

「いいわ、わかったわ。全部私がやればいいんでしょ。どうせ、私なんか、、、、、。」

まったくもって極端ですね。受身か攻撃かどちらかの関係性しか築けないのでしょうか?

たしかに小さかった頃は、周囲にいいなりのお利口さんだったかもしれません。
しかし、今あなたはオトナです。自分で道を切り開くことも選ぶこともできます。

嘆く前に口にだして欲しい言葉があります。

I'm OK.You are OK.

みんな自分の人生を楽しめばいい、、、、

それがラテン子ハーティから皆様への愛のメッセージ。

季節のかわりめです、どうかご自愛くださいませ。

ハーティ新宿はこちらです。http://heartyshinjuku.private.coocan.jp/

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2006年10月 2日 (月)

PTSDについて

現在、人様のお話を何十時間、何百時間とうかがっても、自分自身未だに、わけわからない傷と闇を抱えて生きています。乗り越えられたものもありますし、いまだに何かの拍子に思い出して崩れてしまうようなこともございます。信頼している自分のカウンセラーにも話せないこともあり、おそらくその出来事そのものを認めて受け容れるのがツライのだと思います。

闇の中、姉の背中を必死に追い、朝になると知らないベッドで疲れ果てて寝ていた日のこと。

簡単に話せるのはそれだけです。
20年以上前のことですから細部をおぼえていなくて当然かもしれないのですが感情に関しての記憶がまったく欠けているのです。
心細かったとか、悲しかったとか、辛かったとか一切なくただ姉の背中と闇だけおぼえているのです。
その後はただひたすらボケーっとすごし、明日のことや将来のことを考えることを放棄してしまいました。感情を失い、ひたすら吐き続けました。醒めた子でしたから、学校でなにかの拍子に笑ったら「heartyさんが笑った」とみんなが驚いたことにかえって驚くような子でした。

さて、、、仲の良い男の子の話。彼は超エリートのお家の子でしたが、小学校の時にお父様が鬱病で自死なさったといいます。
学校から帰ると親戚が集まっており、彼に事態を説明なさいましたところ、彼は何がおこったか理解できず、アゴがはずれてガクガク震えるだけだったといいます。

その後、当然一流大学をでて紆余曲折を経ながらも今は映画プロデューサーとして、大ヒット作を世に送り出す人になりました。しかし、今でも自分に何かできなかったか、気づいてやることはできなかったか、、、考えてしまうといいます。

まだ小さかった彼や私に何ができて何の罪があると言うのでしょう。

私は未だにある種の神経症を抱え、夜、家にひとりでいるのが怖いときがあります。
夢の中、姉の背中を見失わないように「待ってお姉ちゃん、待ってお姉ちゃん。」声にならない声で叫ぶ夜もございます。

心の傷は消えません。薄くはなりますが残ります。

しかし傷のない人生なんてあるのでしょうか?

完璧な人生なんてあるのでしょうか?

あのとき、たった一人で吐き続けていた自分はあまりに惨めですが、なんとかこうして生きておりますことに感謝しております。

あれは終わったこと、もうダイジョウブ心配ないよ、もうどこにも行くことないんだよ。」

苦しいときは薬を飲んで寝ます。目がさめる場所が自分のベッドであることを信じて。

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2006年9月 4日 (月)

人生のシナリオ

最近少し疲れております。

そんなとき頼りになるのはかつてのご学友=皆、対人援助職従事者。

「いい、hearty。すべての出来事はあなたにとっていちばん良い状態になるようになっているの。だから心配しないで。直面している自分はつらいけど、良い状態にいる自分をイメージして、すでにそうなっている、大丈夫、ありがとうと感謝を先に念じてね。そうすると出来事がついてくるから。

喜び、愛、受容、祝福、感謝の5つを毎日自分と他のすべてに対して口にだすの。」

そんなAさん。

「心配いらないわ。あなたにムリのないタイミングで好機がやってくるの。そしてあなたはそれをしっかりつかんで、またいちばん良い状態になるわ。」

そんなBさん。

なんてステキな人たちなんでしょう。そして自分を愛し信じるということのすばらしさ。

なにより、そんなあたたかい人たちに支えられていることがうれしいです。

実際、、、私の思い描くシナリオも、ダメだと思うような局面で、必ず誰かが現れて救われることになっておりますし、きっと救われると信じる自分の姿があります。最後は皆さんにお礼を言ってニコニコしている自分が想像できます。

もともとヤンチャなものですから、少し高めのハードルでもチャレンジしてしまうのですが、そうやって皆さんに助けられて越えていくんですよね、、、感謝。

ところで皆さんは小さい頃好きだった本や物語、よく読んだ漫画や小説などありますか?

どんなお話しだったでしょうか?

桃太郎?子分を引き連れ鬼を征伐に。

ありとキリギリス?コツコツ働いたものは報われる。

それともお姫様もの?

人はそういうストーリーを知らず知らず自分の人生に重ねていたりするものですが、自分の人生のシナリオは自分が描いていくのです。

どんなシナリオでも最後はハッピーエンドだといいですね。

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2006年7月27日 (木)

感情の行き場

あ、、、、コ  ワ  イ  ヨ   ォ

左手の人差し指の爪がプラプラしております。

また指を切るところでした。

あまりの怖さに心臓がすごくドキドキして、しばらく床にへたりこみます。

声をあげて、涙をこぼしてもひとりきり。

しっかりしないと。

本ばかり読んでいた頃、、、、

正確に言うと本を読むことしかできない時期がありました。

無条件に大量の本を与えられ読み疲れると寝る。
たまに起きてピアノを弾いて弾き疲れると寝る。
読む本がなくなると「○を買って」というと
数日後目をさますと枕元に本が用意される。

そんなオートマティカリーなやりとり。

ところで私は感情を表現するのをやめていた=できなくなっていた時期があります。

王様の耳はロバの耳

悲しい現実をみないように悲しいことは最初からなかったように。

ひとり思ったことはロバの耳ってどんなの?

対人援助職。

必要なのはスーパーヴァイザー。

プールの中、お世話になったカウンセラーを思い出しながら

クライアントである自分とひとりセッション。

無条件の肯定、やすらぎ、そして認知の軌道修正。たまに椅子のワーク。

果たして自分は自分をどれだけ知って受け容れているのだろうか。

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2006年7月21日 (金)

良いストローク

ストローク

辞書で調べてみますとなでるとかさするとかの意味ですが

交流分析的には相手の存在や価値を認めるような様々な刺激のことをいいます。

ところで皆さんは、どんなストロークを受け取ったときがうれしいですか?

○さんは、頭がよいから好き。

○さんは、おしゃれだから好き。

○さんは、仕事ができるから尊敬できる。

あらら、、、、

これは条件付のストロークと言うものですが、皆さんも小さい頃自分の母親に「良い子にしていたら、、、」なんていわれたことがありませんか?

それに対して良い子でも悪い子でも、勉強ができなくてもいたずらっ子でも

お母さんは○ちゃんが大好きよ!

これが無条件の愛情を示す良いストロークの典型ですね。

では皆さんは条件付、および無条件の、どちらのストロークをより多く記憶してらっしゃるでしょうか?ちょっと思い出してみましょう。

と、しばし小さい頃を思い出してみたところで「なんかイヤなストロークばっかり」ですとか「いまさらオトナの私に誰も良いストロークをおくってくれない!」そう嘆いている方はいらっしゃるかもしれませんね。

過去と他人は変えることができない。

しかし自分は????????

自分は変わることはできなくても違う明日を生きることができるのではないでしょうか?

私はけっしてポジティブシンキング論者ではないのですが、物の見方、感じ方を変えてみること、それをあえて言葉にだしてみることはいいことでないかと思っております。

あるところでお世話になった方は

「今日は雨だった。一日家の掃除ができてよかった、めでたし。」

「暑い日だったから冷たい麦茶がおいしい、めでたし。」

そんな感じで、どんな一日だったとしても必ず最後はめでたしで終わる日記を毎晩つけていらっしゃるそうです。

うぅーん、毎日めでたしめでたし☆

ここで私のささやかなハッピーの秘訣をご紹介いたしますね。

誰かに会ったとき、ただおしゃべりをしただけでも「会えてうれしかった」と必ずその喜びを伝えることと、時間を共有したことに対してのお礼を伝えることを心がけております。

顔がみたくて☆

今日はお会いできてうれしかった☆

相手が女性だろうと男性だろうと、そうお伝えするようにしているのですが、イヤな気持ちになる方はいないと思います。

それに対して

今日はごちそうになったから次は私が、、、、

いつも来ていただいているからお礼しないといけないわね。

今度は私が招待する番。

そういう付き合い方は、なにか義務感のようなものが感じられますし、なんとなく重く感じられませんか?

ということで今日の結論

良いストロークはまず自分から人に与えること。

そして見返りを期待しないこと。

すると、あなたの周りみんなハッピーエネルギーで満たされそうな気がしませんか?

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2006年6月27日 (火)

人はラベルを貼りたがるもの

「あなた○な人ね」という人がいらっしゃって、

ちょっと違うと思ったときは心の中でこういう風に自分と対話しております。

私にはたくさんの引き出しがある。Gakuaji2_1
そしてそれはこれからまた増えていく。

季節によって衣替えをするように
さまざまな引き出しを開けたり閉めたりする。

その年のモードも少し意識するかもしれないし
その日の朝の気分も大切にしたい。
その日出会う人によってかえてもいい。

去年まで大好きだったものが突然いやになったり
忘れ去られてしまうこともあるかもしれない。

そう。
私の人生ファッションと一緒、好きか嫌いでかまわない。
私はそのぐらい自由に生きる。

今、あなたがみている私も私ではあるけれど

私を全部みているわけではないということ。

10年前の私を知っている人にすれば今の私は信じられないだろうし

15年前の私を知っている人は何がどうなったか理解不能だろう。

今の私しか知らない人に、ある時期のことを話しても果たして信じてもらえるのだろうか?

私は人の記憶の中で生きるのではない。

私は変わり続け、進化し続ける。

ゆっくりでもいい、転がり続けよう。

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