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2013年9月17日 (火)

特発性間質性肺炎だった母

母が特発性間質性肺炎と診断されたのは、震災前、2010年11月のことでした。
長いこと空咳が続きましたが、もともと喘息気味だったので、そのせいかと思っておりましたが、専門機関で診察を受け、病名を告げられることとなりました。また、指がこわばり、うまく使えないと訴えることも多くなりましたが、ばち指という症状だったのでしょう。
主治医より、症状を進行させないようにすることと告げられましたが、その頃の母はまだ元気でした。

ここで病気について簡単にご説明いたしますね。

間質性肺炎とは、肺が線維化してしまうため、肺としての機能をしなくなるという、たいへん苦しい病気です。
歌手の美空ひばりさんも、この病気で52歳の生涯を終えられたたとのことですが、早い方では診断後半年で亡くなられることがあるそうです。

特発性間質性肺炎については、その原因がわからず、公費指定の難病http://www.nanbyou.or.jp/entry/156に挙げられていますが、以下のようにあります。

特発性間質性肺炎
疾病系統
呼吸器系

主な症状
肺の酸素と二酸化炭素の交換を行う間質(肺胞と肺胞の間)に炎症が起こる病気で、原因不明のものを指す。息切れや、痰を伴わない咳があり、ゆっくり呼吸不全が進行する。

疾病情報
国指定難病医療費等助成対象疾病 疾病番号36

認定基準(詳しくは臨床調査個人票の裏面を参照して下さい)
1.主要症状、理学所見及び検査所見
(1) 主要症状および理学所見として、以下の<1>を含む2項目以上を満たす場合に陽性とする。
<1>捻髪音(fine crackle)
<2>乾性咳嗽
<3>労作時呼吸困難
<4>ばち指
東京都福祉保健局よりhttp://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/iryo/nanbyo/nk_shien/iryohi/36.html

診断後、まもなく震災があったこともありますが、経過観察のみで特別な治療はしなかったです。決定的な治療法というのもなかったのでしょうね。

2011年3月震災があり津波で家を失い、避難所→姉の家→小さなアパート→そして今の家と転々とするうち、母の気力と体力は衰えていきました。

震災後一週間、避難所で暮らしていたのですが、それだけで驚く程痩せてしまいましたが、
その後、姉の家に身を寄せ、5月にやっと見つけた小さなアパートに移り住むことになりました。

慣れない小さなアパート暮らしでしたが、咳き込みながらも電話に出たり、何かお遣い物があれば、私に食べさせたいとばかりに、宅急便で送ってくれたりしたのですが、体力は日に日に衰えていくようでした。

私が、ベーグルUのベーグルを食べたいと言っていたのを覚えていても、父の車で買いに行くのも一苦労、荷造りするのも一苦労だったようで、送ってくれたときは「遅くなってごめんね」と何度も謝っていました。

用事があって電話をかけても咳き込むばかりで、とても辛そうでしたが「こんなに辛いなら早く死にたいわ」と口にするようになりました。


「そんなに辛いんだ、死にたいぐらい辛いんだね」と言うよりほかなかったですが、看護師をやっている友人に話したら「肺の病気の苦しみは想像を絶するものなのよ、息するだけで辛いんだよ」と顔を曇らせていました。

今年のお正月に、母の大好きなイタリアのお菓子cantuccini(いわゆるビスコッティ)というのを焼いて行ったら、おいしいと喜んでいましたが、その頃はまだ一緒に食卓について、姉の作ったおでんを少しだけ食べていました。

普段は父の炊くご飯と、コンビニやスーパーのお惣菜を、ほんの少し口にするだけだと聞きましたが、買い求めたというお節の不自然な色あいを見ると、あれだけ頑張って料理をしていた人の食卓かと、私の方が愕然としてしまいました。

「お母さん、何が食べたい」と聞くと、「なんでも食べたい」と力なく笑っていましたが、食べたくても食べることができないんですよね。

もともと食べることが好きで料理が得意な人でしたから、どんなに辛かったことでしょう。


3月に訪ねたときは、起き上がるのもやっとという感じでしたが、それでも誰かが訪ねて来るのは嬉しかったようです。

その後、もう少し大きな家に移り住んだのですが、死の数週間前に「あれ、heartyちゃんは東京に帰っちゃったの?昨日はみんな集まって楽しかったね」と、突然口にして姉を驚かせたようです。


そんな具合で、どこか朦朧とするときがあったようですが、病気の進行はあっと言う間だったのでしょう。


3月以来、私のかける電話口に出ることもなく、最期は穏やかに苦しむことなく亡くなっていったと聞きました。

ところで非科学的な話で申し訳ないですが、母の死後まもなく、私の寝ている枕元に母が座って私を見ていました。
よく夢は見ますし、アレルギーがあるので、寝ていて呼吸が苦しくなることも、たまにありますが、部屋全体が緑のような青白いような光に包まれて、とても怖かったです。


親不孝者が!!!と、私を叱りにきたのかな?と姉に言ったら、そんなことないよと言ってくれましたが、親不孝だったので、本当に申し訳ないです。

また、母は本当に苦しかったと思いますから、その痛み、苦しみを想像したとき、母を楽にするには死しかなかったのかと思うと無力感でいっぱいになります。

私にできることは、想像を絶する痛みなんだねと伝えるだけでした。

心理療法家?????滅相もない、私などまだまだ学ぶ立場、謙虚になりなさいと、母の声が聞こえてきます。



残された私たち家族は、母に対して、何かできることがあったんじゃないかな、なんであんなに意地悪なことを言ったのかな、もっとやさしくできたんじゃないかな、、ベーグル買いに行かせて悪かったな、、


懺悔と後悔だけが募ります。


それでも母が天国で幸せで暮らせるよう、そして医療の進歩を願いながら、生きていきます。

こころのことはハーティ新宿

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