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2011年4月

2011年4月21日 (木)

ホームスイートホーム;原発反対を叫ぶ前に3

続きものです、その1はこちら→http://heartyshinjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-d38f.html#comments

その2はこちら→http://heartyshinjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-ed6a.html

今日でチェルノブイリの事故から25年が経ちました。




私はその頃仙台市に住んでいて、学校でヒロコちゃんってお友達が「チェルノブイリが爆発したんだよ、怖いよ」って叫んだ声をすごくよく覚えてます。



そのときのクラスのお友達、みんな生きているのかなあ。

110223c1_2

写真家、中筋純さんの写真展「チェルノブイリから25年」

/21.5/22@studio on

5/21 17:00~19:00トークショーもあります。

詳しい案内はこちら→http://runshimo.blog.ocn.ne.jp/studioon/2011/04/post_611b.html

当日はustream配信なども考えてますが、できるかな?

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2011年4月20日 (水)

早稲田狂言の夕べ;思いやりは強さ

昨日は、早稲田狂言の夕べという、早稲田OBである人間国宝野村万作、萬斎親子の狂言を観てきました。

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あの大隈講堂に舞台を設けて、超一流の狂言の舞台を観られる、しかも無料で観られるなんて、、、、、、、

1階には歴代首相、岡田元代表監督などVIP、OBもたくさんいらっしゃいましたが、総長の、「演劇の早稲田の真髄をお楽しみください」というお言葉、そして芸術館長の「日本の歴史上、こうした舞台が一ヶ月以上自粛されることは極めて異様なこと。太平洋戦争の敗戦間際はさすがに演じられることがなかったが、戦国、応仁の時代でさえ、、、、だからこそ、こうした笑いや文化は大切にされた、ですから、こんなときだからこそ、皆様にお楽しみいただけますよう、最高の舞台をお楽しみください」という言葉に胸が熱くなりました。

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2011年4月16日 (土)

ホームスイートホーム 2;原発反対を叫ぶ前に

続きものです、その一はこちら→http://heartyshinjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-d38f.html#comments

現在ニコンサロン新宿で個展を開催中の中筋純さんとのコラボイベント企画中。

5月の20,21日の予定。

内容はチェルノブイリを取材なさった写真の展示と、トークショー。

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中筋さんは普段はストリート系ファッション誌やバイク雑誌、コマーシャルなどで活躍なさっている写真家ですが、またの名を廃墟カメラマンとも言います。

チェルノブイリも廃墟の取材の延長で訪れたそうですが、やっぱりぐぐっとくるものがあったそうです。

「こりゃ、あかんわ。」




そんな中筋さんに、もしもーーーっししましたの。






誰かが、「電気を使わない生活にシフトしていけばいい」って言ったのが、すごく話題になったけど、被災地の友達と大笑いしたのが、「原点回帰って、避難所生活ですか?」って。

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ホームスイートホーム1;原発反対の前に

現在ニコンサロン新宿で個展を開催中の中筋純さんとのコラボイベント企画中。

5月の20,21日の予定。

内容はチェルノブイリを取材なさった写真の展示と、トークショー。

110223c1

中筋さんは普段はストリート系ファッション誌やバイク雑誌、コマーシャルなどで活躍なさっている写真家ですが、またの名を廃墟カメラマンとも言います。

チェルノブイリも廃墟の取材の延長で訪れたそうですが、やっぱりぐぐっとくるものがあったそうです。

「こりゃ、あかんわ。」




そんな中筋さんに、もしもーーーっししましたの、

さて福島での事故が起きてから、現在進行形で汚染された水が放出されています。

私は原発、反対でも賛成でもありません。

ただ、そこを追われた人を思うと、胸が張り裂けそうになります。

そしてそこにつながれたままの馬を思うとき、うわあーーーーーーっと叫びそうになります。

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2011年4月 9日 (土)

ストレスかな?心ここにあらずな数日でした

ひとりでご飯食べたり、映画みたり、旅行したり、、、、

世界的にもレアな、極めて個人主義な面のある日本人。

しかし、基本は右向け右、上の言うこと絶対服従だから、国が自粛ムードを解除しない限り自粛しちゃうのかな?









共感疲労とも言って、被害に遭った方や、ツライ思いをなさっている方に、シンパシーをおぼえるうちに、自分自身がその渦中の人のようになってしまうんですけれど、、、、





お花見したかったらすればいい、そんな気持ちにならなかったらしなければいい。






自分の心地よいことをしていいんですよ。

私の場合、お堀の桜がいちばん好きなんですね。

でもお花見するなら代々木公園→なにやるのも代々木公園→出不精だから代々木公園?






というわけですが、、、、、、、






ある日のこと、駅まで行ったらお財布がなくて走ってオウチに戻って、また走って向かって、、、そんなことがあったんですね。

その翌日、重要な書類を提出しないといけなかったのですが、あ、○の証明書がない!とオウチに戻ったんですね。

○を手に職場に戻ると、今度は、あ、△の控えがない!と、またオウチに戻ったわけですよ 汗

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2011年4月 5日 (火)

震災後のこころのケア 2 PTSD

都内で相談業務に従事しておりますが、震災後、皆さんから寄せられる相談の内容が少し変わってきています。

怖くて怖くてたまらない。



自分はここにいて良いのだろうか。

なにもできない自分がゆるせない。

悩んでる場合じゃないですよねえ。


本当に大きな出来事だったんですから、いいんですよ、それで、、、、、






このように人は、大きな災害にあったことで、強いショックをうけますが、被災地の方々は実際にその生活も大きく変化します。

家を失い、家族を失い、町を失い、仕事を失った人たちは

「命があって良かったじゃない。」

そんな言葉を素直に喜ぶことができません。

自分は何かできることがあったのじゃないだろうか。
自分は生きていて良かったのだろうか。
こんなことなら死んだほうがましだ。




さまざまな思いでそこに立ち尽くすのです。

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2011年4月 3日 (日)

被災地からのメール

かつての同級生;看護師のtumugiさんからのメール

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3月27日から、仙台空港近隣の地区の方々が非難している
館腰小学校という場所に入りました。
避難場所の体育館には、およそ300人の方々がおりました。

避難所の方々、全員が、全員が、全員です、津波で家をなくしました。

継続的にケアを行えるように、健康チェックの用紙がありました。

名前、住所、電話番号等。。。
「看護婦さん、わだし(私)うじ(家)ないがら(ないから)
電話もないんだっちゃ(電話もないの)・・・前の住所でいいの?」

と。。。何人もの方々に聞かれました。
とても苦しいのですが、救急をようした場合、特に1人で避難している人に
とっては、もとの住所でひろっていかないと、だれなのかわからなくなってしまうのです。

そして、小さい子供達。
体育館中を走り回ったり、かと思えば急に、抱っこしてーと膝にのってきたりします。

災害による、子供なりの反応です。

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何も言っていないのに、わかるんですね、
立ち去る前の夜に、「ねえねえずっといてくれる?」
しかし、現実は伝えなければなりません。

「明日までね、だけどまた、会いたい人ー!!」と、語ると
「えー、どこに行っちゃうの?」と。

「今度はね、もっと、海のそば」

すると、数人の子供たちが、その後それぞれに手紙を書いてくれたり、
折り紙をおって、折り紙を封筒にして、「お守りにしてね」と渡してくれました。

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2011年4月 2日 (土)

県境の町;ふたつのフェーズ

「死亡者・行方不明者数にばかり気をとられてしまうが、その背後に存在する膨大な数の避難者数が意味するのは、生きてなお苦しみを得る人の数でもある。マスコミにとりあげられることのない、無数の人の人生を、ぼくたちは表に出ている報道のその奥から読み取っていかねばらない。」写真家 石川直樹さんの日記から

親の家には、この年初に行ってきたばかりであるが、それ以前の訪問を思い返してみたら、2007年のことだった。




「ロシアの船が座礁しているんだよ。」

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親の家からまもなくの、なんとものどかな海水浴場に、これまたひなびた船がぼけーっとそこにあった。



夏はサーフィンができるし、ちょっと行くと山があり、競走馬のトレーニングセンターなどもあった。

渡り鳥の飛来地だと聞いたこともある。

名産はイチゴで、そのイチゴはちょっとしたブランドになっていたようだ。

東北地方からイメージされる雪や厳しい寒さとは別に、おだやかで陽気な地域のようだった。

ようだったというのは、彼らがそこに移り住んだ10数年の間、私は滅多にその町を訪ねたことがなかったから。





そして、断片的な印象の中に、この座礁船があり、私が唯一残したその町=宮城県境の町の記録だ。

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