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2010年10月23日 (土)

認知の違いで過去は変わるのか?

平素、このブログは「カウンセラーの日々思うこと」ということで、だらだら私のこと、思うことを書いてます。

本当は各理論、そして心身医学、公衆衛生のことなど等身大でお話できたら良いのですが、、、、、、うん、無理ない程度に、、、、ううん、一生懸命書いてみますね。

さてストレス

ストレスそのものが悪者なのではなくて、その人の受け取り方によってそのストレス具合は変わるという考えがあります。

「さまざまな嫌な出来事がストレスを引き起こすのでなく、私たちがそれをどう評価したか、すなわちどう受け止めたかである」なんて言いますよね。だからSSをちゃんと用意しようとかコーピングはいかがですかなんて言われるわけです。

私はポジティブというよりもユーモアが好きなので、何かあるとそれを笑いに転じることはできないかと考えます。またそこから何か学ぶことがあるはずだと考えるときもあります。結果、良かった良かったと日々暮らし、感謝の思いで一日を終えます。

ここで「偏見の成育歴」(Elis,A&Harper R.A1975)というのをご紹介します。

「過去の経験こそ、決定的に重要であり、しかも過去において人生に大きな影響を与えたできごとは、今にいたってもその人の感情や行動を決定するものである」

論理情動行動療法ではそれは不合理な信念だというわけです。

すなわち

『過去に起こったことは事実であり変えることはできない。しかし過去に起こったことをどう受けとめるか、それによってその意味付けは変わり、結果過去も変わってくる。』というわけです。

その受けとめ方をを変えることで、それは違う過去になり、結果、違う今を生きられるというのは理想です。しかし現実にはそう簡単にはいかないのではないのでしょうか。

私も過去のトラウマが大きくて苦しむ人がいたときに、それは「あなたの受けとめ方だよ」とは言えないのですね。

また未だに日韓、日中間で60年も前の賠償問題が話し合われ、どんなに傷ついたかを訴える方がたくさんいます。それに対して「あなたの受け止め方でしょ」と言えるものでしょうか?

被害者はいつまでも被害者であり、その傷はそこにあるということ、そしてそれに対しての認知を変えるのは、本人の自発的な意思と環境が作用しないと難しいと思うのです。

ここで自発的な意思というのは過去を忘れることではありません。再決断療法の場で「決別宣言」することもありますが、私は過去は過去として事実であり一生消えない傷であってかまわないと思います。

では?

私が問うのは、トラウマがあろうとなかろうと幸せになりたいですか?ということです。

すると「あれだけ大きな出来事があったのよ、幸せになれるわけありません」とおっしゃる方がいらっしゃるのですが、これぞ不合理な信念ですよね。

出来事がどんなに大きかろうと小さかろうと幸せになりましょうよ。

自分で幸せになれないだなんて決めちゃわないでください=トラウマを幸せになれない切り札にしないでください、、、、、悲しすぎます。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

誰だって幸せになるって決めた瞬間、そうなれますから

そこで構成主義的心理学の考え方をご紹介します。

構成主義的心理学では、その信念が不合理かどうかではなく、その人の人生にとってその考え方は有用かどうかを問います。これは第三者にとっては、いつまでも過去にとらわれて生きるのは不合理に思えたとしても、本人にとってはそれが生きる助け、動機となるという考えです。

逆説的になりますが、過去の傷やトラウマは忘れたくても忘れられないと言いますが、それを抱えていることが生きる動機になっており、それを助けとして生きているのだとしたらそれは有用だという考えですが、皆さんいかがでしょうか?

この恨み果たさぬ限り、、、、

恨みも生きるモチベーションなのかもしれないと?????

さて交流分析では、ラケット感情(思い出すと不快な感情、親の愛情を得るために演じたニセの感情)に浸るという場面の分析があります。これは本当は不快なのにそこに戻ることが快感になる感情についての考察(分析)ですが、そこに戻り快感を味わう、果たしてそういう生き方で良いですか?と問う場面でもあります。

かつて、これを学んだときは泣きそうでした。

私は何かあると、あぁやっぱり私はダメだと思うのですね。(誰ですか、実際そうじゃんだなんて本当のことを言う人は??????)

しかし私以外の人は、誰もダメとは言っていないのです?!

私は私自身に対してダメだと言うとき、そこに快感をおぼえ、その快感=ダメだという快感に浸っているのではないかと指摘されたものですから衝撃でした。

ダメな自分でいるのが心地よい

ダメな自分という信念が不合理かどうかではなく、そう思うことが自分の人生に有用であると思って、そうしているのだとしたら、、、、、いったいぜんたいどういうことだろうと考えたら恐ろしくなります。

いろいろ分析しましたが、恐ろしくて書けませんって、、、、、、

そもそもダメ人間な私とおつきあいしてくださる皆さんに失礼。そのほうが有用だなんて考えていたつもりはないですが申し訳ないです。

と、私(hearty)のことをお話しましたが

それでも「過去のことは過去」のこととして認知できるようになってだいぶラクになりました。

以前もお話いたしましたが、突然過去の記憶が甦った場合、そこに長く浸らないことができるようになりました。

私は今、終わったことを思い出してるだけ、もぉ大丈夫、何も心配はいらない。あのときの自分はあのときの自分、今の自分はまた別な自分。もう別な人生を歩いているんだよ」

そう言えば良いのですから。

ってそんな作業をしなくてはならないのも厄介ですが、それでも客観視できるようになっただけ救いです。

このあたりはマインドフルネス的な考え方で認知を修正しています。

と、さまざまな理論を混ぜながら、認知について書いてみましたが、過去は自分の認知次第で変わるという考え方、皆さんはどう思いますか?

私は皆さんに「過去を忘れることはできない、でもそんな過去とともに今日まで生きてきたのだから昨日より今日、今日より明日、、、、健やかな毎日をすごしたいよね☆」とお伝えしたいです。

そして私でよければ、そのお手伝いができたら幸いです。

皆さんの意見、質問お待ちしてます。

今日ご紹介したのは「認知行動理論」「論理情動行動療法」「構成主義心理学」「交流分析」そして「マインドフルネス」になります。ストレス評価についてはお世話になっている熊野先生の昔のPDFを見つけたのでそちらをどうぞ。

こころのことはハーティ新宿

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