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2010年3月17日 (水)

人を見くだす若者たち あやのイタリア雑記より 2

私のイタリアの姉御 あやさんの日記をご紹介しております。

第一回をご覧になってない方はまずこちらをご覧ください(。・w・。 )

http://heartyshinjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-3054.html

私が感じたことはまた後日お話しますね☆

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親からも学校からも躾をしてもらえないまま、オトナになってしまった子どもたち。
 

この年を食った子どもたちは哀れなことにも、「社会システムにわが身を順応させる」という葛藤なしに成長してしまった。
 が、社会には当然ルールがあり、守らなければハジかれる。
 

あーあ。
「ぼくは(わたしは)一般民なんかよりずーっとエラいんだ」という勝手な思い込み(仮想的有能感)はみごとに打ち砕かれる。
 か、あるいは、打ち砕かれそうな気配を察し、自分の殻の中に閉じこもってしまうというパターンもある。
 というわけで、仮想的有能感は「歪んだ自尊心」ですらないのだそうな。
 なにしろ、根拠のない有能感だから自信がなくてもいいわけ。

「怒り」の話に戻って。
 自信がないからこそ、相手の非を言い立て、相手を落としめて自分の有能感を持ちあげようとする。
 攻撃は最大の防御なり。
 でもさ、これって卑しい行為、かなり格が落ちますよね、人として。
 仮想的有能感現象には「インターネットの普及も大いに影響あり」というのが、著者の弁。
 つまり、インターネットだと世界のできごとを一歩下がって見据える形になる。一歩下がるとは「上から眺める」という感覚にもつながり、神さまにでもなっちゃったような気分になるってこと。
 岡目八目とはよく言ったもので、外野には、いつだって渦中の人の粗がよく見える。が、人の粗が見えるのは「自分がエラい証拠」ではないし、「自分に欠点がない証」でもない。
「明日はわが身」、「おたがいさま」なのである。
 ところが、経験なしでモノを言う場合、それがわからない。その分、言葉がキツくなる。
 こんなことも、落とし穴なのかもしれない。
「自分もやっちゃうかも」とか「やっちゃったこと、あるし」という深謀遠慮ができれば罵倒する言葉もたしょうは柔らかくなるんだろうにねえ。
 

インターネットの影響のもうひとつ。
「書き込む」とき相手の顔をみなくてもよい、という点が指摘されている。
 見ず知らずの人になら、激しい言葉をぶちまけられるということのようだ。
 が、わたしはそれより「自分の顔をさらさなくてもよい」というのが大きいんじゃないかと思う。匿名なら何を言ってもいいような気になるということだ(ほんとは、良心ってものがあってブレーキになるはずなんだけど・・・)。
 

イタリアに「石を投げた手を隠す」と言い回しがある。
 つまり、人の背中に石を投げつけておいて、ぶつけられた人が振り向くと、知らんふりするという行為。
 これまた、卑怯千万なやり方。
 石を投げつけたいほど憎いヤツなら、面と向かって投げつけてやりゃいいじゃん。

 おーとっ、それを言っちゃーいけなかったわン。

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以上あやさんの日記から。私の感想はまた今度!

私の姉御、あやさんの日記はこちら☆http://www3.azaq.net/d/01/ayana.html?1002085673

続くhttp://heartyshinjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-dafd.html

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