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2010年3月17日 (水)

人を見くだす若者たち あやのイタリア雑記より  1

私のイタリアの姉御 あやさんの日記をご紹介します。

私が感じたことはまた後日お話しますね☆

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『人を見下す若者たち‐「自分以外はバカ」の時代-』という新書を読んだ。

 で、「すさまじいなあ・・・」という気持ちと「やっぱり・・・」という思いが錯綜した。
 まずは小学生。先生に対する態度がひどい。
 怒られると、しゅんとするどころか、友だちの非を盾にとって口答えしたりする。
「ムッカつく」とか「死ね」とか激しい言葉がガンガン飛び出す。
 けれど、友人間では相手の気をうかがい、いつもビクビクしている。
 だれかの気に障って目をつけられるのが怖いからだそうだ。
 イジメに対する恐怖である。

 日本人はかつて「悲しい」という感情をメインに生きていた。
 思い通りにいかないことがあると、できない自分が情けなく悲しかった。
 が、現在は「なぜ思い通りにならないんだ!」と腹を立てる。
「怒り」がメインである。
「怒れる民族」となりつつあることは、途切れ途切れに読む現代日本文学から、わたしもいやというほど感じている。
 なぜこんなことになるかというと、「根拠のない有能感を持っているからだ」なのだそうな。
 

著者・速水俊彦氏はこういった現象を「仮想的有能感」と呼ぶ。
 なぜ仮想的なのかというと、「ぼくは(わたしは)デキる」という感覚が経験や自信に基づくものではないからだ。
 どうしてこんなことが起こるのかというと、まずは「躾がなってないから」。
 親が「子どもの個性尊重」とか言っちゃて「躾を放棄」してしまっているからだ。
 

ちょっと、すいません。ここでわたしの意見。
「個性」って「わがまま」とは違うと思うんですよ。ちょっと叩かれたくらいじゃ消えてなくならない。なにしろ、DNAの中にしっかり組み込まれるんですから。むしろ、どんなに叩かれたって別の道を通って噴き出してくる。それがホンモノの個性なんじゃないかしら。
 だから、たんなる「気まぐれやわがまま」と「個性」をふるいにかけるには、「躾」というフィルターが必要になる。
 躾とは「社会生活を潤滑に進めていくための知恵」みたいなもので、この知恵で磨かれて花咲くのが個性よ。生まれたままだったら野生。 
 なーんてことはおいといて。
 躾は学校でもしにくくなっているという。
「人はみな平等」とかいうウソが幅を利かせて。
 そのせいで、「生徒が先生とため口をきくようになり、教師の言葉を尊重しなくなった」
 百歩さがって、ため口は許容するとしても。
 自分よりモノを知っている人を無知な自分と同じだと思いこみ、ああ言えばこう言ったとしたなら、教育なんか成り立たない。

 教育が成り立たなければ人は動物に換える。
 食べて出して産んで死ぬだけ。

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以上あやさんの日記から。私の感想はまた今度!

私の姉御、あやさんの日記はこちら☆http://www3.azaq.net/d/01/ayana.html?1002085673

続く→http://heartyshinjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-9858.html

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

そうですね。全く同感です。昨年、ある中学校で講演を頼まれて一時間ほど講義をしたんですが、各クラスに一~二人ほど「動物」のまま育った児童・生徒がいるようです。
先生によれば、大体親御さんを見ればすぐに判るそうです。
私の尊敬するジャーナリストに、KSさんという方がいますが、その方がアメリカ在住中のエピソードが大変面白く、また参考になりました。
曰く、ある日夫婦揃って学校に来るように電話があったそうです。
登校すると先生曰く「学校は、動物を教育するところではありません。人間の子供を教育する場所です。あなた方の子供は、残念ながらまだ動物のままです。動物を人間の子供にするのは、学校ではなく、親の責任です。このままの状況が続けば、学校ではあなた方の子供を預かることができなくなります。」
と言われて目が覚めたという、お話でした。
学級崩壊という言葉を聞くにつけ、いつも思い出します。
また、ある駐在さんからは、深夜小学校の先生から相談の電話が、度々あったそうです。とても悩んでいる様子で、しばらく聞いてみると、いわゆる「モンスターペアレンツ」からの苦情・要望に悩まされ続けているとのこと。
「ウチの子は、算数が弱いのでその時間は前の席に移動させろ」とか「あの子とウチの子とは、一緒のクラスは絶対認めない」とか「しつけは、学校の仕事でしょ?!」などなど、、。
いやー、大変な世の中になっちゃいました。私は、やはり変な平等主義(チャンス平等ではなく結果平等を求める)のまん延と、自由という概念が間違って伝わった(規律ある自由であるべき)せいではないかと思います。
長くなってスミマセン(汗)。

投稿: Marilla | 2010年3月18日 (木) 08時01分

Marillaさま
アメリカすごいです。

でもフランスも暴力行為など虐めがあると親が「弁護士を呼びます、訴えます」と立ち向かうと言います。
子供のおこしたこととは言え法に裁いてもらおうと言うあたりが法治先進国ですね。

私は学校の先生のお話をうかがうこともあるのですが、万引きなど児童の犯罪があったとき警察は保護者ではなく学校に連絡し教師が迎えに行くそうです。


なぜなら保護者は忙しくつかまらない。
なぜなら保護者はウチの子がそんなことするわけないだろうと認めない。
なぜなら保護者はそんなの知らないと無視する。
なぜなら保護者を呼ぶと地域に確執が生まれる。
*万引きしたと店が嘘をついたと騒ぐ?!


なんだか子供がかわいそうになるねえとシミジミ。

投稿: hearty | 2010年3月19日 (金) 18時23分

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