« ハッピーsoyワールド | トップページ | しばしお休み  »

2009年7月13日 (月)

人生脚本 私のこと

書き溜めていた記事のUPが続きます。

****************

交流分析を学んで本当に良かったと思います。

思い出しても胸がドキドキするぐらい、その学びはステキでした。学ぶ内容、そしてその「場」そのものがステキ。

ステキな恩師たち、そしてステキな仲間。

さすが自分がラクになる心理学を学んできた人たちです。みな自分がラクになる生き方を心得ていらっしゃる。

そして同時に相手もラクになる生き方=常にI OK、U OKの構えでいらっしゃいます。ですからそこにいる限り否定的な感情を抱くことはなく、常にOKでいられるんですもの、そんなに幸せなことってないです。

ただ、苦しいこともありました。

それは脚本分析の中の禁止令のときです。

親が子に対して無意識かつ非言語で発するメッセージ=12の代表的な禁止令は下記のようなものですが、

1.生存するな

2.成長するな

3.お前の性であるな

4.子供のように楽しむな

5.重要な存在であるな

6.成功するな

7.所属するな

8.健康であるな

9.親しくなるな

10.感じるな

11.考えるな

12.実行するな

私がかつて背負っていた禁止令は「健康であるな!」でした。親が子に対して健康を願わないわけはないですよね。

しかし少々逆説的かもしれませんが「健康でなかったら愛される」と子が学習したら、それは「健康であるな、健康なお前は愛される存在ではないんだ」というメッセージがあるというわけです。

簡単に説明しますね。

私たちは三人姉弟、両親は多忙。基本的に皆アーティスト、エンジニアタイプのファミリーなので、他の姉弟とのかかわりを求めることはあまりないのですが、母の愛を求めぬ子はいません。

どの子も、ちょっとのスキをみては母を独り占めしようとする、、、、それはどこの家も一緒でしょう。

が、ここで問題。

私の下の弟が末っ子だということと、初めての男の子かつ初めての男の孫ということで、その注目のされ方ったら大変なものでした。

すると二番目の私はなんとか注目を浴びたいと思いけっこう必死です。姉のやることを真似して姉と同じペースでお稽古事をやってみたり勉強したり、そうかと思えば反抗して手を煩わせてみたり。

そして、、、、喘息にもなってしまうんです。

喘息って自分の意思でなれるんですか??????

論理的に成立するかわかりません、しかし心療内科の領域において《検査をしてもなんでもないいわゆる末病や、神経症、そしてアレルギー反応も心因性である可能性がある》ことを説いていますよね。

私も脚本分析を学ぶまでは、私は小さいころ体が弱くて生きるのに必死だったと当時を思いウルウルしたり 笑 していましたが、この禁止令を知って愕然。

もしかして私は親の愛を得るために喘息やってたわけぇ、ええええええ?!

確かに私の具合が悪いとき、両親は帰宅すると真っ先に私の枕元にやってきて額に手をあて体調を確認する。

私の発作がひどいとき、母は寝ないでそばにいてくれる。

私が何も口にできないとき、母は私の好きなもの食べたいものを聞いて食べさせてくれる。

するとですね、病気になって初めて母の愛を確認できるのだと学習するのですよ。

「苦しい、もぉダメ、お母さん傍にいて、ねえ、お願い、お母さん。」

すると母も心配そうにそばにいてくれます。

そんな高度な心理テクが交わされていたなんて驚きですが、日頃甘えることが許されなかたり我慢をせざるを得ない環境に育つ子が、喘息によって唯一甘える機会を得たと分析できます。

それにしても「健康でなければ私は愛される」だなんて、ゆがんだ脚本ですよね。自分がいじらしくて惨めで、講義中に泣けてきましたもん。

また「健康であるな」という禁止令に対抗するかのごとく、自分を認めてもらおうと必死でがんばる私の拮抗禁止令は「他人を喜ばせろ」というものでした。

具合が悪いと母に甘えられるのと同時に「あなたは本当に手がかかるから」そう暗に訴える母に対してすまないという思いが湧き上がります。

すると嫌われたくないと無駄にがんばったりしたりするわけです。

まあ交流分析;フロイドの精神分析の口語版の考え方ですから、他の理論ではそれは成立しないかもしれないですが、、、、、

しかしそこから脚本の書き直しです。

私は病気じゃない。仮に病気であろうと、そうでなかろうと愛される価値がある。もし私が病気だと思ったらその瞬間から私は愛を求める人になるのだろう。

私は私のゆがんだ脚本を捨てる。

仮に喘息:アレルギー体質が先天的なものであったとしても、それを理由に愛を求める生き方はしない。私は私のコップにたくさんの愛;ストロークを注ぐんだ。

そう自分に言い聞かせます。

そして現在、アレルギー体質であることはまちがいありません。季節の変わり目にはあやしい咳をします。夫が病院に行きなさいと言うほど咳き込むこともあります。

しかし「季節の変わり目だから、それが終われば大丈夫」

満月の時期は、あちこち湿疹が噴出します。これも「満月は体の水はけが悪いから」

私は私の意志で、私の成り得る自分になる。

先生方の自己開示を聞きながら「私もあんなに美しく、あんなに輝いていたい」と思った日を思い出しながらすごす日々です。

現在、企業におけるメンタルヘルスやキャリアサポートの仕事などもやっておりますが、キャリアとは仕事そのものをさすのではなく、どのように生きるか、生涯を通しての人間の生き方・表現だと思います。

誰の人生でもなく自分の人生です、ステキな脚本を書いていきたいですね。

また、私は交流分析のインストラクターでもあります。

自分がラクになる心理学を広めていきたいなあと切に思うのでした。

****************

以上、6月に書いたものをやっとアップできました。

|

« ハッピーsoyワールド | トップページ | しばしお休み  »

ハッピーになろう」カテゴリの記事

交流分析」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ハッピーsoyワールド | トップページ | しばしお休み  »