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2007年9月

2007年9月30日 (日)

汝良き隣人たれ;そばにいるということ

急に寒くなりましたが皆様いかがおすごしですか?

あいかわらずあわただしく連休とは無縁の9月でした。

忙しいということを嫌う人もいますが、私はそれだけ求められているということをありがたく思います。

さて、、、羽根もない、光輪もない、、、決して天使でもなく神でもない。あくまでひとりの人間、あくまでひとりの女性であったマザーテレサ。彼女が亡くなって今年で10年です。そのメモリアルドキュメンタリーを観て参りました。

私がこの仕事を志し、何度も何度も徒労感と無力感を味わいながらも、思い出す言葉があります。

生きているのでなく、生かされている。私がここにいることには意味がある。私自身が孤独であるならばそのカルマがつきることだろう。

生かされている意味?それが何かはわからないけれど、今ここで孤独を訴える人がいたら「大丈夫、一人じゃない。私がいるから」そう言い続けよう。

あなたは自分の足で歩いてきた、そしてまた自分の足で歩いて行く、今あなたのおかれる境遇はあまりに辛くて、世の中という荒波に放り出された小船のような気分かもしれない。でも大丈夫、私はそんなあなたを応援し続けるから。あなたのかわりにその船を漕ぐことはできない。ただその海が凪ぐようになるまで祈る、あなたの明日が今日よりちょっとずつ良いものであるよう祈る。

祈る。

東京ドームクラスの公演を行うミュージシャンの方のお話をうかがった時、夢を叶えるには祈るんですよ、、さらっとおっしゃるのです。え、、、、、、

祈りますか?!

けっこう衝撃だったのですが、今、私も祈っております。今日出会った方の幸せ、メールを頂いた方の明日、そして私の愛する人たちのことを、感謝の言葉とともに。

私がここにいるのは求められているから。愛を与えられているから。ではそれを同じように誰かに与えよう。

 ☆-○-☆!☆-○-☆ ☆-○-☆!☆-○-☆ ☆-○-☆!

             マザーテレサの言葉

食べ物に飢えた人ならば 食べ物を与えればその飢えは満たせます
けれど孤独な人の心の貧困は、もっと深刻なのです
よく見れば 世界中に“コルカタ”があります

愛への激しい飢え
誰もがその苦痛や孤独を 人生で経験します
家族の中にもいるかもしれない“貧しい”人々を見出し、愛し、 愛を実践に移すのです。

東京都写真美術館においてマザーテレサのメモリアルフィルムを上映中です。

連載を読んでの感想などはcocorofuwafuwa*yahoo.co.jp

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2007年9月27日 (木)

democratic voice愛と平和に祈りを捧げよう

1997年
この年のことはたぶん一生忘れられない。
出張続き+海外往復でメチャメチャの生活がたたり体を壊した。
そうして動物たんぱく質アレルギーのため菜食になった。
25年来の友A子は成田から病床の私に電話をしてきた3ヵ月後卵巣癌を摘出。

一瞬先は闇

ベッドでそんなことをつぶやいた。

8月31日プリンセスダイアナが交通事故死。

9月5日マザーテレサがその生涯を終える。

愛と平和のために生きた女性二人を神は連れ去ってしまった。心に穴があいたような気持ちで秋を迎え、渡伊。

時は流れ、2007年
今ここに、ひとりの女性の存在を忘れて欲しくない。
アウンサンスーチー   ミャンマー
約20年の軟禁生活を強いられながらも非暴力民主化を訴え、平和を祈る人。現在彼女の住むミャンマーでは大規模なデモンストレーションが行われている。全国から集まった裸足で無抵抗の僧侶たちは祈ること、歩み続けることで軍政に対して無言の圧力をかけている。

「デモンストレーションをして何になる。」

そう言ってしまえばそれでおしまい。しかし民主化以前のこの国では自分達の意思を表すにはそれしか方法がない。我々投票権および社会保障システムが完備された先進国民とは置かれる状況が違う。税制だってない、それどころかインフラだってない。

私はこの国のお寺ですごしたことがある。菜食だと言ったら合掌されたこと、とてもよくおぼえてる。なんとなく仏陀に近づいた気持ちになった。
私はプリンセスダイアナでもマザーテレサでもアウンサンスーチーでもない。ただ彼女達のしたことに敬意を表し祈ることはできる。

9月27日現在700人の僧侶、および民衆が捕らえられ少なくとも3人の僧侶が亡くなった。

国民に銃をむけるな。

かつて私が歩いた街角に真の民主化が来るまで祈り続けよう。

東京都写真美術館においてマザーテレサのメモリアルフィルムを上映中です。

私ももちろん参ります。

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2007年9月25日 (火)

体にやさしい、ううんそれよりとってもおいしい

体にやさしい

地球にやさしい

やさしいって優しいのか易しいのかわからないですがeasyな言葉。

*なんかビミョウにオヤヂギャグ?!

あと癒し

なんでもかんでも見たもので簡単に癒されるなら苦労ないなあ。

そして常にカワイイの連呼。

かわいくないよぉってのもかわいくなっちゃう。

昔フランス人と一緒に暮らしていたのですが「アメリカ人ってなんでもかんでもgreat連呼するわよね」と私が言ったら「日本人はなんでもカワイイって言うじゃん」と。

確かに。

さて今日は体にやさしいことも大切ですがおいしくないと!!

そんな思いで紹介させていただきたいのがこちらのお店。

イートモアグリーンズ;eat more greensさん071005a2

ニューヨークスタイルほぼ完璧なベジレストラン。サーヴィスも雰囲気もとってもカジュアルですがそのメニューはどれもこれも手間がかかっており、しっかりとした下ごしらえの上になりたっているのがわかります。野菜だけでどうしてこんなに複雑な味わい、うまみがだせるのか?逆に野菜だけだからこそそれが叶ったのか?ベジ歴10年、それなりにオリジナル料理にチャレンジする私としては終始うなりっぱなしでした。

アルコールなどドリンクのお値段が少々高めな他は、お値段もとってもカジュアル!!白いテーブルクロスのかかった伊勢丹のチャヤマクロビオティックスも大好きですが、商店街の真ん中の下町チックなこちらのお店も大好きです。

今度はブランチとかもいいなあ。

ハーティ新宿からだと大江戸線!麻布十番も便利になりました。

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2007年9月19日 (水)

恋に効く話し 5

今日は別れについて。

恋愛の継続期間は平均3年といいます。長いと思うか短いと思うかはひとそれぞれですが、いつかなんらかの形で別れがやってきます、その別れから立ち直ったとき、2人のすごした日々がステキな思い出として記憶に残るか、もう二度と思い出したくないような悪夢として記憶に残るか、、、

どんな別れも苦しくせつないものです、すべての別れは痛みをともないます。食事も喉をとおらない日が続いたり、枕を涙で濡らすこともあるでしょう、街を歩くたびにどうして今自分はひとりか、ぼんやり考えてしまうかもしれません。

一緒にいた時間が長ければ長いほど、愛していれば愛していただけ別れはつらく苦しいものです。しかし、その永遠に続くかのような苦しみや寂寥感も、時とともに癒され新たな人生を歩んでいけるようになります。そして良かった時のことも悪かった時のこともすべてが懐かしい思い出になり互いの幸せを祈ることができるようになっていくのです。

そんなぁ、、、、ムリですよぉ、、、、夜になると悲しくて涙があふれますよぉ。

それはが自然だと思います。

相手だけ幸せになって、、、ずるい、、、自分は惨めだ、、、ゆるせない、、、

恨みつらみのひとつも言いたくもなると思います。

あぁすればよかった、こぉしたからいけないんだ、あのときのひとことが、、

自分のしたことを悔やんだり、伝えることができなかった思いで胸をいっぱいにしてしまうことでしょう。

もちろんどんな妄想をしようとあなたの自由です。ただあなたの今後の言動で相手があなたの元に戻ってくるかどうかはわかりません。あなたは相手のいない状況でひとりロールプレイイングをしては返ってくるだろう相手の反応を自分で勝手に想像しては一喜一憂しているだけなのです。

あなたは別れによって傷ついたことでしょう。

しかし相手も同じぐらい傷つきながら別れを決意したのかもしれません。

大切なのは今の状況=相手はもうあなたから離れていったという、その事実をしっかりうけとめることです。

あなたはあなた自身が大切で自分をしっかり受け容れることができるオトナなのでしたら、同じように相手も自分が大切で自分が決めたことを行う自由を認めてあげられるはずですよね。

★-☆-○-☆-★ ★-☆-○-☆-★ 

弱い者ほど相手を許すことができない。

許すということは、強さの証だ。☆ガンジー☆

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2007年9月17日 (月)

恋に効く話し 4

恋愛すると自分を見失う。」そんな言葉よく聞きますが、なぜ恋愛すると自分を見失ってしまうのでしょう。「恋愛」がいけないのでしょうか?「相手」がいけないのでしょうか?

もしかすると「恋愛すると自分を見失う人」は、平素から自分をしっかり受け容れることができてなかったり、自己一致できてなかったりするのかも。

普段の自分、、、どうですか?感情のメリハリだしてますか?休むとき集中するときバランスとれてますか?

もっと相手に愛されるために自分を磨くことはすばらしいことです。しかし相手に愛されるために相手の言葉や態度に一喜一憂するのはどうでしょう。

相手を思いやり相手の喜ぶことをすることはすばらしいことです。しかし相手が同じことをしてくれないと言ってがっかりしてしまうのはどうでしょう。

相手に合わせてあげるやさしさステキです。しかし本来あなたが大切にしなければならないはずのものを粗末にするようになってきたのはどうでしょう。

あなたはあなた自身を愛し大切にすることができる人のはずです。その上で、同じように自分を愛し大切にすることのできる人と巡り合ったのなら、「自分を見失う」ことはないはずです。

★-☆-○-☆-★    ★-☆-○-☆-★    

考える時間を持ちなさい 祈る時間を持ちなさい 笑う時間を持ちなさい 

それは力の源 それは地球でもっとも偉大な力 それは魂の音

遊ぶ時間を持ちなさい 愛し、愛される時間を持ちなさい 与える時間を持ちなさい

それは永遠につづく若さの秘密 それは神が与えてくれた特権 

自分勝手になるには、一日は短すぎる

読書する時間を持ちなさい 親しくなるための時間を持ちなさい 働く時間を持ちなさい

それは知識のわき出る泉 それは幸福へつづく道 それは成功の価値 

施しをする時間を持ちなさい それは天国へと導く鍵 ☆マザーテレサ☆

秋の味覚、栗をゆでました。食べすぎ注意!!

とゆうことで今日はここまで。

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2007年9月13日 (木)

雲南4680mって?!

昨日メールをいただいた方は旅仲間。旅仲間と言っても一緒に旅をしたことはありません。

旅の話をしよう、たまには集いましょう、、、そうやってなんだか自然にできた会のメンバーです。ただね、会と言っても会員制でもないですし、面子も決まってなくて都合があえば会いましょうって感じです。

そもそも会の呼びかけ人が、海外に行ったっきりなんですもの!?

で、その集いも一年に一回あるかないか、、、、

それでもなんだかんだおつきあいが続いてるのうれしく思います。一切の利害関係が生じず、年齢性別さまざま、国籍不問そんな人たちの集いは、なかなか居心地いいものですよ。

さてその方(仮にA氏としましょう)は、トレッキングが趣味で毎年3000m級の山に登ってらっしゃいます。今年は雲南の山へ出かけられたそうですが、私にとって雲南とは棚田があって少数民族のいるところとしかイメージ湧かなかったのですが、なんとビックリ4680mの山に登られたとのこと。4680mってどんな感じでしょうね。

Aさんへ素朴な質問

「高山病は大丈夫ですか?」

「3300mぐらいのところで何泊かして、徐々に登って行くんですよ。それでも苦しくはなります、だからゆっくり行くの。ただ、今回は天候が悪くて良い景色が望めなくて残念だったよ、次回の楽しみだね。」

スケールの大きさに感心してしまいました。

そんなAさん、腕におぼえありとばかりに、毎度PDFでダイジェスト版と称した旅の模様を見せてくださいます。その写真を見ながら、私もどこか行きたいなあと思う時が楽しいです。皆さんはどんな旅をなさいましたか?

さてさて「恋に効く話し」まだまだ続きます。質問などありましたらこちらへどうぞ。お手数ですが*を@にかえてお送りくださいませ。cocorofuwafuwa*yahoo.co.jp

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2007年9月11日 (火)

恋に効く話し 3

週末は海で遊んでました。またまたこんがりやけました。月曜日、お世話になっている鍼灸の先生に自家製天然酵母のパンを差し上げました。「すごーい!お店のみたいっ」なんて言葉にウキウキ、実際とーってもおいしいんです。帰りがけに10年来の友達に会うと「ハイ、これ」宇治十帖の物語;源氏物語後編を渡されました。「どうしても読んでもらいたくてさ、一生持っていてかまわないから」なんだかすべてがグルグル巡り巡ってつながっている、、、、パンにしても本にしてもささやかなことですが誰かが誰かを想うことがつながっていくのを感じました。

さあて連載してますよぉ。先回は共依存ってなんぞや、、、というところで終わりましたが、今日はその共依存から恋愛を考察していきましょう。ところで共依存を勘違いなさっている方もいらっしゃると思いますので、ちょっとだけ説明させてくださいね。

共依存とは「ひとりになるのが怖かったり、ひとり立ちできない」から一緒にいる者同士や、その関係性をさすわけではありません。

他者に必要とされることで、自分の存在意義を見い出す」という関係性をさします。
共依存者は低すぎる自尊心や自己に対する過小評価のため、他者に自分の存在を認められることによって初めて満足を得ることができます。自分に自信がなく常に相手の顔色をうかがい、他人の一挙手一動にビクビクなさる人っていらっしゃいませんか?またその行為は、自己犠牲的、献身的でありますが、一見献身的なその姿も相手にいかに気に入ってもらえるか、どうすれば取り入ることができるかということに終始し、ある種、確信犯的な横顔を持ちます。また「相手が自分を好きだから」と思い続けて=信じている限り、その関係性はゆがんだまま続いていきます。

自分の内面はいつも満たされないまま空っぽで、他者の評価によってその存在を認知する。しかしその評価を得るためには他者を利用するようなしたたかさも見え隠れする、、、、うぅーん、切ないなあ。

どうやら「I love自分=自分大好き」ではないようですね。

でもそんな話よく聞きませんか?
アル中亭主の妻、、、、夫は働かず当然家にはお金がない、暴力はふるうし借金ばかりがたまる、誰がみても不幸なのに絶対別れようとしません。ある日暴力の矛先が子供にむかい、さすがに危険を感じると妻子は命からがら実家へ逃げます。すると夫は「オマエがいないとダメなんだよ、やり直すよ」と追ってきます。そこで妻も「ほらみなさい、この人は私がいないと何もできないのよ」と、ほくそ笑みます。

逃げることも暴力をふるうことも互いに対しての策謀でしょうか?なんだかそれって恋の駆け引きなんてチャーミングな言葉ではすまないような気がしますが、、、

長年ライブで人様の声を聞いて感じたことや、専門書片手に皆で励ましあいながらどんなことを学んだか、皆様にお伝えしたいことはたくさんありますが、なにせこの遅筆、なにより文章の稚拙さ、本当に読みづらいことと思います。それでも読んでくださる皆様がいらっしゃること本当にうれしく思います☆ありがとうございます

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2007年9月 8日 (土)

恋に効く話し2 

先回は「自分(私)のことを好きだという人が好き」ということ「について書いてみたのですが、今日はちょっとだけ気になったことがあるので、それについておつきあいくださいますか?

恋愛関係において「相手が私を好き」というのが重要であって「私が相手をどう思うか」はあんまり重要ではないという、、、、そんな受身な彼女の心の中。

捨て身になることへの羞恥。

惚れられたものの強味。

愛される自分に酔う私。

なんだか「I love 自分」じゃないですか?

いつまでも彼が私のことを好きでいてくれるって信じているのが、女の純粋さなのかもしれませんが、彼が心変わりしちゃったらどうするのでしょうねえ。

彼が心変わりすることなんて考えられない、、、、、、まあ、そう思われるのも自由ですが、私が心配するのは、彼が心変わりする=彼の心変化に関してよりも、彼女のその純粋さ、如いてはそのもろさです。なぜなら一見「I love 自分」=「自分が好き」なようでいて、本当に自分を好きであるかどうかに疑問を感じるからです。

えっ?

カップル双方がオトナであれば愛の形は

私は私が好きです。

私は私の恋人を自分を愛するのと同じように愛しております。

私の恋人は非常に安定しおり自己一致しています。

彼も自分を愛するのと同じように私を受け容れて愛してくれます。

ここで自己一致という言葉がでてまいりましたが、自己一致した状態とはありのままの自分を受け容れ肯定すること、表出される言葉や態度が一致することをいいます。

いつまでたってもオトナになれない人、もしくは不安定な精神状態を「自己一致してない」とも言い換えることができますが、自分自身が自己一致していない人は、なかなか人を受け容れることや肯定することができません。「愛してる」と口にすることはいくらでもできても言葉と態度が一致していなかったりするのです。*詳しくは「ケチな男」の連載をご覧くださいね。

*私も時に不安定でハチャメチャな自分をよく知っておりますが、そんな自分をまず認めること、心の乱れをしっかり受け容れることは心がけております、、、、それもある意味自己一致した状態といいます。

さて、このように相思相愛とは自分を受け容れ肯定することのできる者同士が、相手を受け容れ肯定していく状態をさすのですが、どちらかもしくは双方が自己一致していない場合、まかりまちがうと相思相愛というより共依存になってしまう場合もあります。もちろん愛の形はさまざまですし、すべてのカップルがいつも理想的な状態であるとは限りません。それでもなんとか相手を受け容れていこうとするのですが、ツライ恋愛、ツライ別れ、終焉、、、その後も続くストーカー行為の裏には自己一致していない男女の姿が垣間見れるものです。

自分が自分自身を好きで自分に誇りを持ち安定した状態であれば、相手が自分のことをどう思うかにかかわらず自分の思いをしっかりと伝えられるはずですし、相手の心が離れることがあっても自分がしっかりしていれば、また立ち直っていくことができると思います。

ところで、共依存って???

先に進みたいのは山々ですがtoday that's it.今日はここまで。

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2007年9月 1日 (土)

恋に効く話し1

愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。
そのなかに“落ちる”ものではなく、
“みずから踏みこむ”ものである。

エーリッヒフロム

先ごろあるアンケート調査で好きになる相手の条件というのもが発表されました。

はてさてその一位は

ジャジャーーーン

「自分のことを好きだという人」

はあ、そうですかってなになにぃっ?

私だって「オマエみたいな女、顔もみたくねえ、なんだこのブス」そういう輩とすごすよりも、私のことを受け容れてくれる人と一緒にすごした方が快適だと思います。*本当にそんなこと耳にしたら許さないわっプンプン

しかしそこに落とし穴があります。

男性と女性では脳の具合が違いますが、男性にとっておつきあいする女性の存在はある意味ステータスの証であり、所有欲をみたすための存在だったりします。

また男性は女性に比べて圧倒的にひとめぼれする確立が高く、見た目で相手を選びがちでもあるという調査結果もあります。簡単に申し上げますと、女性が安定を求め育むことによろこびをおぼえる生き物であるのに対して、男性は常に刺激を求め外へ外へと向かっていく生き物だということです。

野生の動物の「狩り」と一緒でがんばってくどきおとす行為そのものが大切であって、「釣った魚に餌はやらない」そういう男性、実際多いです。

ですから、彼の猛アタックにのぼせてしまい「彼、私に夢中なのぉ」と言って、なんの努力もせず、彼をちゃんとリサーチしないですごされるのは考え物です。そのうち彼は当初の熱さを失い、また新たな獲物を求めにでかけることも考えられます。

この「新たな獲物」とは「浮気や不倫」をさすわけではありません。あなたとすごす時間より、もっと楽しいことがあればそちらにむかってしまうということです。もちろん、これは男性全員について述べているわけではありません、そのへんはご理解くださいね。

しかし自分が誰かを好きになった場合はどうでしょう?

もっともっとずーっと緊張感があるのではありませんか?

自分磨きの努力をなさるのではありませんか?

おいしいものを食べて、体を動かして、良い睡眠をとって、、、、しっかり自分磨き!

ステキな秋を迎えたいですね。

今年は乗馬+サーフィンでずいぶん日に焼けました。来週はいよいよレースです。

こころのことはハーティ新宿

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