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2007年3月27日 (火)

偶然というluckをつかむには3

偶然というluckをつかむにはというテーマでお話してまいりましたが、いよいよ今日が最終回です。

ここでひとつだけ私的なことをお話させてくださいね。

私の叔母。

現在彼女はパーキンソン病という病気で入院しておりますが、その生涯を「家庭になんらかの事情があって親元で生活できない子達」のためにささげたといってもいいほど、愛情と情熱を持って施設での仕事にのぞんでおり、私のあこがれで尊敬の対象でちょっとだけ怖くてとてもユニークなおしゃれな叔母でした。

今日母から便りがあり、今の彼女は意識はしっかりしているけれど、自分ではなにもできない、食事さえ胃に直接流し込む日々、、、お見舞いに行く?それとも気持ちだけでも、、、、とありました。

半年ほど前に私の両親がたずねたときは「どうして私がこんな目に遭うの、どうして、どうして」と泣きじゃくったと聞き胸が張り裂けそうでしたが、今は口さえきけなくなってしまったそうです。

私も思います。「どうして○ちゃんが、そんな思いしなくちゃいけないの?なにか悪いことしたって言うの?人のために生きてきて、、、どうして定年むかえた途端こんな目に遭うの」

恨めしいです、嘆かわしいです、理不尽です、あまりに不条理です。身体のみならず精神神経的にもむしばまれていくのです。その恐怖を思うと涙がでてまいります。

「ペンがもてないから返事書けなくてゴメンね。」

腱鞘炎?それから何年経ったのでしょう。彼女はずーっと病名を隠していたのですが、病気は進行していくだけです。父は「heartyは繊細な子だから、、、、、あまりの変わりぶりに耐えられないよ、、、だから行かないでいい」と私に彼女の所在を明かしません。頭にきて電話で大喧嘩してそれっきりです。そうして私は薄情にも彼女を見舞ってません。

どうかご安心ください。私は本当に苦しい人大切な人のもとへ駆けつけることなく日々ぼけぼけ生きているおろかな人間です。毎日ベッドで誰かの幸せを祈るとき、自分の偽善ぶりを誰ともなく謝ります。

ただ、考えていただきたいのはそんな彼女が惨めなのか、不幸なのか?

彼女を思うと苦しいだけですが、かわいそうに、、、、とは言ってはいけないような気がするのです。もっと率直に口にしますと、定年したら、あとは自分の好きなことに時間とお金を使うのが幸せだって誰が決めたのですか?病気は不幸せですか?

私にとってはどんな変わり果てた彼女でも私の最愛の叔母です。

それが事実です。そしてその思いは変わらないのです、、、それをどうやってかして伝えないといけません。そう、どうにかしないと。

ということで本題、偶然というluckをつかむには、、、、

素直な心、無心であること、日々感謝を口にすること、流されず自分で決断をくだせること、自分のおかれる状態を把握すること、極論ですが、人生がそれの繰り返しだったらどうでしょう。

難しいですねえ。がんばります。

またそういう言葉が浮かんだ方いらっしゃいますか、、、、どうか完璧に生きようと思わないでくださいね。まずは「ありがとう」でいいのですから。

偶然というluckはそこにあります。天から無数にふっています。それをキャッチできるかどうかはほんの少しの心のゆとり、そして感謝と楽しむ心。

たとえば、、、、

汗をかき、自分の足で一歩ずつ登った山の山頂でいただく水や、塩気のきいたおにぎりのおいしいこと。

無我夢中で一生懸命やったことが認められたときのうれしさといったら!?

モノの価値を安いか高いか、量が多いか少ないかで語ることなく、物事の本質を見極めること、そして「これは私にふさわしい」または「私にはふさわしくない」と言い切ること。

モノにあふれて暮らすことなく、心もいっぱいいっぱいじゃなく、本当の意味でのゆとりある暮らしをすること。

そして大切なことは、なにかステキなことがあったとき、誰かに褒められたとき、素直にありがとうと口にすること。

こころのことはハーティ新宿

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