« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »

2006年11月

2006年11月28日 (火)

シェカザマのサンドイッチ

サンドイッチは麹町のシェカザマ

それがレジェンド。

10年以上も前でしょうか、初めて食べたサンドイッチのおいしかったこと!

数種類のパン生地を使い一度軽くトーストしてあります。

中の具;フィリングも当然手作りで生地ごとにすべて異なり、口の中に広がるまろやかさと香ばしさがなんともいえません。

イギリス式の小さくてちょっと上品サイズのサンドイッチが与えてくれる至福のひととき、そしてなくなってしまうせつなさと、本当に夢のような味わいでした。

ですからそれが800円と言われても、ちっとも高いものだとは思いませんし、それだけの価値があると納得しておりました。

それから時は流れ東京にはおいしいパン屋さんがあふれ、東京のパンは世界一と言われます。

勉強熱心な日本人は海外で修行を積み、さらにパワーアップしたかのようなパンを私達に提供してくれます。

実際外国の友達も東京のパンはおいしいと言いますし、私も新しいパン屋さんをチェックすることと、出先でおいしいパンを買って帰るのがささやかな楽しみです。

しかしそんな中でもシェカザマのサンドイッチは、「あぁ、あのサンドイッチ、、、」と思わせる一品なのです。

昨年お店に足を運んだところサンドイッチは売り切れで、思わず「サンドイッチ、売り切れ、、」と落胆の声がでてしまったところ、オーナーの風間氏が「なんでしたらおつくりしますよ」と中から顔をだして応えてくださいました。

正直驚きましたが、プロとはこういうものかと感心したのもおぼえております。

しかし、つい先日お店を訪れ手にすることができたサンドイッチは、値段は10年前の半額程度で、お味もごくごくフツウにおいしい、、、、そんなサンドイッチでした。

え、、、あのサンドイッチじゃないの?

自分にご褒美!と外車に高級ブランド、エステ、流行のレストランには、いくらでもお金をかける、、、そんな方々が増えているといいますが、800円のサンドイッチは敬遠されてしまうのでしょうか?

私は今でもあのサンドイッチが食べたいなあと思うのですけれど。

風間さん。

|

2006年11月26日 (日)

とらぶる対策連載1;サラ金

生きているといろんなトラブルがあります。

カウンセリングもさまざまな分野での対応が要求されてくる昨今;自分で勉強できることは勉強して欲しいのですが、、、今回はすこしでも皆様のお力になれるようなことを書いてまいりたいと思います。

第一回の今日は消費者金融いわゆるサラ金に関して

皆さんが借りてしまった立場でしたら、まず返さないといけない、、、それは確かなのですが不当な取立てや法定金利以上の金利を請求された場合は、すぐに警察もしくは消費生活相談センター、弁護士会、司法書士会などにご相談ください。ただし警察は原則民事不介入ですから、消費生活相談センターなど相談機関を紹介されることと思います。しかし、執拗な取立て、暴行や日常生活を営むのに支障があるような取立て行為は警察の出動が望まれます。

ではまず法定金利というものについて

金銭消費貸借契約における上限金利は、基本的には利息制限法で定めている金利(原本10万円未満は20%、元本10万円以上100万円未満は18%、元本100万円以上は15%)が適用されるます。しかし、一定の条件が満たされている場合には、出資法が適用されて、上限金利は29.2%が適用されます。

また法律では元々の利息の1.46倍まで損害遅延金をとっていいということになってます。だから、もともと15%の利息を請求されていた場合は損害遅延金は21.9%になりますが、元々の利息が25%や29.2%の場合は上限金利は29.2%となっていますから、29.2%まで支払えばいいわけです。ですからそれ以上の高利を請求されても、一切支払う必要がないのです。

しかし、債務が多数の箇所からのもので今自分がどれだけ借りているかわからない場合、その金利さえ定かでないのかもしれないですね。しかも執拗な取立てが続きます。あなたの電話は鳴りっぱなし、当然家まで取り立てにまいります。家族にも電話がかかってきます。あなたの勤め先、家族の勤め先にも電話がかかってくることでしょう。

そこでもしあなたが家族、妻などの立場ならどう対応なさいますか?

取立ての内容にもよりますが、貸金業規制法により家族がかわって支払いをする義務はありません。元々保証人必要なし、その場でキャッシングで借りたお金です。家族は一切の返済義務がないのです。

「家族なら払えよ」これは明らかな違法行為(言動)です。

「家族ならなんとか言ってくれよ」これはしょうがないですね。

しかし、家族であるあなたやお子さんの生活が脅かされるような待ち伏せや、つきまといなどが執拗に続く場合は警察へ訴えましょう。

またあなたの職場への執拗な電話。

あなたが会社にいづらいようにする=社会生活をできなくしてやるぞという嫌がらせの電話です。これもあまり執拗に続く場合は各相談機関へ相談することです。だいたいあなたの仕事をしづらくさせては、両者にとってなにもメリットはないと思うのです。

さて整理屋というものをご存知でしょうか?

さらなる悪夢の始まりとならぬように、またまたご注意申し上げます。よく街中で債務一本化しますのチラシを見かけますが。たいていはサラ金業者と同じようなものです。あなたがどのような業者からお金を借りているかということは、業者間ではすでに周知の事実です。良いカモが来たとばかり、手数料というものをとられ逃げられるのがせいぜいです。

しっかりとした業者=弁護士、司法書士を探さないと痛い目にあうだけです。

また押し貸しというものについてもお話しましょう。

お話いたしましたとおり業者はあらかじめ多重債務者の名簿を持っています。そして、その名簿を見ながら債務者の銀行口座にお金を振り込みます。そして「貸した金を返せ!いいか1週間後に利子つけて返すんだ。」と電話がかかってきたり「必要だと思いましたのでお貸しいたします、どうかお納めください」なんて慇懃なハガキが届くわけです。

さてどうしたものでしょう。返すべきか、そのままにするか。

振り込まれた金額が1万円なら1万円のみ返すべきという見方もありますが、返しても納得する相手ではないのです。

「返してもらってない、一日遅れたから金利トイチだ」など、わあわあ騒ぎ立てる相手に、「なぜ金利を支払わないといけないのですか元本ちゃんと返しましたよね、控えがあります。」など言うだけ無駄ですし、相手はそんなあなたの生真面目さをおもしろがってまた押し貸しを続けるでしょう。そもそもあなたは多重債務者=すでに多額の借金を抱えているのです。押し貸しされた小額を払ったとしてもなにも債務はかわらないのです。

この押し貸しは多重債務者のみならず、ネットのサイト上で口座を公開している方も、注意が必要です。また不当請求や頼んでもいない荷物が届くというケースもあります。いずれにしても即相談機関へいくことです。

最後に消費生活相談センターなど相談機関、警察などへ相談へ行くまでの間に、あなたにもできること、やっておいてほしいことがあります。

どのような電話がいつかかってきたか。日時、相手の口調なども控えておくこと。

事例性と回数をもって相談することは非常に大切です。また約束なども口約束といえど法的に有効です。「証拠も何もないじゃないか」といいますが、民法上では有効と考えられております。当然郵便物はすべてとっておくこと。家族にも同様に電話の記録、控えなど残すように協力してもらってください。

そもそもあなたの債務です、家族や勤務先には関係のないことなのです。貸主、借主とも同等の権利を持っていると考えるとき、関係のない第三者への執拗な電話や嫌がらせは不当な行為です。

国民生活センターhttp://www.kokusen.go.jp/

Web消費者センターhttp://www.shousen.org/

東京都でしたら→http://www.shouhiseikatu.metro.tokyo.jp/

また各自治体で無料法律相談などさまざまなサービスがあるはずです、わからない場合はお近くの警察、区役所などで教えてくれることでしょう。

心が疲れてしまったらハーティ新宿http://heartyshinjuku.private.coocan.jp/index.html

|

2006年11月23日 (木)

痛みさえ愛しい

失恋女=イタリアーナから引き続きメール。

なぜかスペイン語の詩が一緒でした。

すみません、イタリア語でお願いいたします。

注;私はスペイン語は一度イタリア語になおさないと理解できないのです。

時は残酷。

会わないということはそういうことなんだなあ。

いっしょに生きてないと相手の見分けもつかなくなる。 

熱い思いも喜びも悲しみも手元からするりとこぼれ落ちていく。

El tiempo es malo y muy cruel amigo.
El tiempo pasa y ese non se detiene.
Dios perdona pero el tiempo a ninguno. 

このところ、よく感じること。

人の言葉が心に止まらず上すべりする。

さまざまな感情が湧きあがっては言葉になる前にふつりと消える。

年とったのかな、、、

そう思ったら画面が涙でにじんだ。
 

****************************

どんなに熱い思いも、どんなに激しい感情も、どんなに身を裂くような痛みも

時と共に薄れてまいります。たとえ身を裂くような痛みでも感じていられたら

その人を思い出していられるのに、痛みさえ感じなくなってしまった。

そんな彼女のメール。

人を愛するってそういうことかもしれません。

痛みさえ愛しい。

皆さんはどう思われますか?

ハーティカウンセリングルームhttp://heartyshinjuku.private.coocan.jp/index.html

|

2006年11月20日 (月)

愛するということ

友達の失恋をきっかけに自分を考える日々でございます。

私、外交的社交的なイメージと裏腹に実際内省的な人間なのですが

最近ますます自己分析をする日々であります。

しかし、これも職業病=自分を知ることができて人を知ることができる。

自分を大切にできない人は人を大切にできない。

というわけで、フロイド左派エーリッヒフロムの言葉をどうぞ。

けっこう痛いですよね。

*******************************************************

愛は、人間のなかにある能動的な力である。
人をほかの人々から隔てている壁をぶち破る力であり、
人と人を結びつける力である。

愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。
そのなかに“落ちる”ものではなく、
“みずから踏みこむ”ものである。

たくさん持っている人が豊かなのではなく、
たくさん与える人が豊かなのだ。

もらうために与えるのではない。
与えること自体がこのうえない喜びなのだ。

愛とは愛を生む力であり、
愛せないということは愛を生むことができないということである。

愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。

愛と労働は分かちがたいものである。
人は、何かのために働いたらその何かを愛し、
また、愛するもののために働くのである。

“愛は自由の子”であり、けっして支配の子ではない。

神学の論理的帰結が神秘主義であるように、
心理学の究極の帰結は愛である。

一人の人をほんとうに愛するとは、
すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである。

自分の役に立たない者を愛するときにはじめて、愛は開花する。

愛情深い母親になれるかなれないかは、
すすんで別離に堪えるかどうか、
そして別離の後も変わらず愛しつづけることができるかどうかによるのである。

誰かを愛するというのはたんなる激しい感情ではない。
それは決意であり、決断であり、約束である。
もし愛がたんなる感情にすぎないとしたら、
“あなたを永遠に愛します”という約束はなんの根拠もないことになる。

愛は誰かに影響されて生まれるものではなく、
自分自身の愛する能力にもとづいて、
愛する人の成長と幸福を積極的に求めることである。

一人の人間を愛するということは、人間そのものを愛することでもある。

利己的な人は、自分を愛しすぎるのではなく、愛さなすぎるのである。
いや実際のところ、彼は自分を憎んでいるのだ。

愛の技術の習練という問題に立ち向かうことにする。
…技術の習練には規律が必要である。
規律正しくやらなければ、どんなことでも絶対に上達しない。
“気分が乗っている”ときにだけやるのでは、
楽しい趣味にはなりうるかもしれないが、
そんなやり方では絶対にその技術を習得することはできない。

一人でいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。

自分自身を“信じている”者だけが、
他人にたいして誠実になれる。

他人を「信じる」ことのもうひとつの意味は、
他人の可能性を「信じる」ことである。

愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、
こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、
全面的に自分をゆだねることである。

愛とは信念の行為であり、
わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。

エーリッヒ・フロム【愛するということ】より

|

2006年11月15日 (水)

今日は私の大好きな方の日記をご紹介いたしますね。

****************

来年の今頃は、どうしているんだろう。
去年の今頃は、充実してたなぁ。


その時、想い合っていた人とは、もう会ってはいないけれども
やっぱり、今でも大切な人。
冷たい手を温めてくれた人は、もう会えない人。
けれど、やっぱり、大切な人。
目指していた人は、遠くなってしまったけれども
今でも、そしてこれからも尊敬する人。

季節が過ぎても、人が去っても、大好きの数は減らない。
その関係がどんな終わり方でも、気持ちに終わりなどない。
自分の中では、いつまでも大切な人。

今夜みたいに急に冷え込む夜には、風邪をひかないようにと祈る。
澄んだ空を見上げては、想う。
お気に入りの紅茶専門店の窓から、木に残った葉が揺れるのを見た時や
夕暮れのピンク色の空に長い雲を見つけたとき、
真冬の早朝、凛とした青の中にいるとき・・・
自分が透明になれそうな、そんなときには、彼らを想って祈る。

自分の想いが、小さな小さな空気の粒になって、
この美しい世界に溶けるように。
そして、それが、大切な人達を包んでくれますように、と。

大切な人は減らない。
増えるだけ。

死ぬ間際にも、そうやって、きっと私は祈るんだろうな。

「ありがとう。だいすきよ。」

    ********************

なんてステキな詩なんでしょう。

人をそれだけ愛し、自然に身をゆだね時に逆らわず生きること。

遠くの誰かを思い、近くの誰かに微笑む。

私はそんな彼女が大好きで、何度も何度もこの詩を読みます。

そして感謝の言葉とともに祈るのです。いつもありがとう、、、、だいすきよ。

|

2006年11月13日 (月)

どっちもどっち

どこまでを浮気というか?

先日男女数人で話しておりました。

その中の一人の男性がつい最近の出来事として、彼女が財布からだしたレシートの中にレストランで二名、、、と書いてあり、「誰と行ったか」たずねると自分のまったく知らない男性と行ってきたことが判明したというのです。

そこで彼は「誰と食事してもかまわないけれど自分に言って欲しい」と言ったそうですが、その場にいた女性がブーイング!「やっぱりイヤですね、二人で食事なんて」

男性陣は「食事ぐらい断らないでしたってかまわないじゃん。仕事仲間と帰りに飲んで行こうとか、よくあることだしいちいちそんなこと報告しないよ。」とニヤニヤ。

じゃあ、どこから浮気なの?と私。

「体の関係ですね」

じゃあ即効別れるの?

「いやあ、、、別れるかどうかわからないけれど」

と、誰かがまた続けます。

「ケータイをチェックする女は最低。」

「あら、男だって最低よ。夫婦と言えど、カップルと言えど他人。」

「そうね、、、浮気も問題だけれど相手の一挙手一動、すべて完全掌握しないといけないっていう相手も考えものね。」

「いやあ、、そんな人、冗談じゃない。人間として疑う」

まあ、そんなことを話しておりましたが、私もやましいことがあるない関わらず、ケータイをチェックしたり持ち物をチェックする交際相手はカンベン願いたいものです。

そういう人は自分に子供ができたとしたら、子供の引き出しチェック、持ち物チェック、ケータイチェック、パソコン履歴チェック、、、、そういうことばかり必死になりそうな気がいたします。

育てた息子が結婚したらお嫁さんの素行チェック。日に何度も電話して、電話にでないと部屋の合鍵を作っていつのまにか家にいたですとか、、、、、、怖い、怖い。

このチェック魔さん。一見すると力関係としてはチェックするほうが上のような気がいたしますが、相手の一挙手一動にそこまでナーバスになるということは、ただただ主体性がなく生きている人ともいえます。

チェック魔さんにうかがいたいものです。

あなたは相手をどれだけ愛しているのでしょうか。チェックするという段階で相手を信じていないのではないでしょうか?また相手を信じられないという以前に自分を信じることができないのではないでしょうか。

誰にだってプライバシーがあります。秘密があります。すべてを明かすことが完璧な愛の形ではないと思います。

触れられたくない過去、傷、そしてたわいのないケータイメール、、、、、

そういうのダメですか、、、、

|

2006年11月 5日 (日)

人はどう人を求め結ばれるか 連載2

人が人をどう選んでいくか。
前回までの復習とまいりましょう。
まずは本能=遺伝子レベルで。次に持ち物や嗜好などの共通項をみつけて満足するという心理的側面で。
そして今日お話しすることは、人は自分と似た境遇で生まれ育った人,や似た環境に身をおく人を選ぶ傾向もあるということです。
「価値観が一緒の人」
皆さんよくそう口になさいますね。ではどういう方と価値観が一緒になるのかを探ってまいりましょう。

周囲を見渡すと、サラリーマン家庭に育った方はサラリーマンの方と一緒になることが多いですし、医者の一家は自然に医者や医療従事者と一緒になります、自由業一家の出身の方は同じように自営の方と一緒になることが多いようです。もちろんすべてがそうとはいいきれませんが、、、、高い確率でそうなることが多いです。

そして職場結婚?!

以前いわゆる女子アナと結婚されたプロ野球の選手がインタビューで答えていらしたのが「職場結婚ですよ、なかなか女性と知り合う機会ないですし、互いに働いている姿を知っているわけですから」

この「働いている姿」を知っているかどうかって大きいと思います。

汗をかき、時に涙し、無我夢中で真剣になる人間の姿は、ある意味で「素」です。男も女も働いている時=飾っている場合ではないですよね、そこに魅力を感じるのは極めて自然なことと思います。

ですから一緒に仕事をしている人が気づいたら奥さんだった、、、、そういうケースも多いです。まあ、、、収入なども互いに把握しておりますから、いまさら取り繕うこともないですし。

とゆうわけで皆さん、自分の現在のお相手の顔を思い浮かべてみて、本能的部分、心理的な部分、境遇、環境的な部分どれが一番強く働いた結果選ばれた方だと思いますか?

ところで、ここからはブラックな話です。

間違った境遇に育ってしまったという自覚がない人は、同じような間違った境遇で育った人を選んでしまいがちだというのも事実です。
永遠の暴力の連鎖は自分が過去に受けた暴力はあってはならないことだったということを認知していない=暴力のない人生というのが存在することを知らずに大人になってしまった人間が、また同じように暴力をふるう人を選んでしまったり、自分も暴力をふるってしまうのです。

それを認知の歪みによる負の連鎖としましょう。

そのためには、自分と違った境遇に置かれる人との出会いが有効であったり、違う環境にいる人たちと積極的に関わることも大切です。ただ、どんな人生でも誤った人生というのはないのです、あくまで認知の歪みに気づくことが大切で、軌道を修正することが大切だということです。

皆さんが、良い出会いや巡り合いによって、より幸せな毎日をおくれますようお祈りして二回の連載を終わります。

|

2006年11月 2日 (木)

人はどう人を求め結ばれるか 連載1

以前ナショナルジオグラフィックのレポートで、布に男性のフェロモンをしみこませたものを用意して、女性にかがせると、たいていの人が自分に存在しないDNAを含むフェロモンを選んだといいます。
それはより強く優秀な遺伝子を残すために、生存本能の働きで自分にないものを選ぶということだそうですが、そんな人間の本能とは別な部分で人が人をどう求め結ばれていくかをお話したいと思います。

街を行く人を眺めておりますと、同じような背格好で同じようなファッションで歩く人たちをみかけます。女性の二人組み以上により多くその傾向がみられると思いますが、これも心理学的にはそんなにおかしいことではなくて、同じものを持っている安心感、同じものを好きな共通意識は互いを近づける役目を果たします。また人はそういう共通項を知らず知らずに探しているそうです。

さて例を挙げますと、歌手のコウダクミさんという方は、好きな人ができるとケータイを同じ物に買い換えて「見て見て、お揃いっ」とせまるそうです。はあ、すごいですねえ。続く

|

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »